雲消しゲームをするよりも

2017年5月30日

おはようございます。小出遥子です。

先日の名古屋のTempleにて、
「僕は雲の数、それ自体を減らしたいんですよ」と、
切実に訴えている方がいらっしゃいました。
雲、というのは、青空に浮かぶ、あの雲のことです。

青空にはさまざまな色、かたちをした雲が浮かんでいます。
でも、その雲は決して固定されたものではなく、
刻一刻と姿を変え、最後には跡形もなく消えてしまいます。

普段私たちを悩ませる、制御できない思考や感情や感覚も、
実は、この雲と同じようなもの。
あらわれたと思ったら、あっという間にその姿を変えて、
気づいたときには消えてしまっている……。

そんな、あまりにも頼りないものと自分とを同一化して、
ああでもない、こうでもないと右往左往しているのが人間の姿です。

自分の本質は、雲ではなく青空にあることを見抜いてしまえば、
そこにどんなに激しい思いや感情がやってきたとしても、
「よきにはからえ」……とまではいかないまでも、
まあ、ある程度は、落ち着いて対処、対応できますよね。

……といった話を受けての、冒頭のことばだったわけですが、
まあ、そうですよね。
いくら自分の正体は雲ではなく青空であると聞かされて、
「たしかにそうかもな……」と思ったところで、
いままでと変わらずに雲は湧いてくるわけですし、
それに翻弄される自分も相変わらずいるわけです。

だから、雲自体が湧いてこないようにするメソッド、
あるいは湧いてきた雲を瞬殺で消し去ってしまうようなメソッド、
そういったものを求めてしまう気持ちは非常によくわかります。

でも……どうなのかな。

世界は広いですからね、もしかしたら、この世のどこかに
そういったメソッドが隠されているのかもしれないですけれど、
私自身は、そういったものを探し求めて
うろうろする時間がもったいないと思ってしまうので。

というか、そもそも、雲が湧いてくるようにつくられているものを、
無理やり、湧いてこないものにつくり替えてしまったら、
やっぱり、どこかでひずみが生じてくるのではないかな、と思うので。

それならば、思い切って、雲の存在を認めてしまった方がいいかな、と。

たぶん、雲自体にアプローチして、
その数を減らしたり、その存在を消し去ったりすることはできないけれど、
雲の「出どころ」を探ることによって、その実体性のなさに気づいて、
「なんだ、なにも気にすることはなかったじゃん!」と脱力して、
「雲があっても別に構わない、だって私は青空だから」とゆったりと構えて、はじめて、
「あれ? そういえば最近、激しい思いや感情にわずらわされることがなくなったな……」
と気づくようなことが起きてくるのだと思います。

苦しくなく生きていければそれでいい。
そのためには、わざわざ雲自体を消す必要はなくて、
雲は雲として存在していても別に構わない、というところに、
ふわっと自分を解き放ってしまえばいい。

そっちの方が、実は、「近道」なのだと思います。

今日も暑くなりそうですね。
よい一日をお過ごしください◎

 

≪今後のTempleのスケジュール≫

【5/30(火)】Temple@神谷町光明寺(ゲスト:プラユキ・ナラテボーさん) ※満員御礼

【6/5(月)】Temple@髙願寺
(ゲスト:小笠原和葉さん)

【6/16(金)】Temple@瑞泉寺
(ゲスト:小竹めぐみさん/京都での初Templeです! ふるってご参加くださいませ)

【7/23(日)】Temple School 特別イベント第2弾(ゲスト:横田南嶺さん、藤田一照さん) ※満員御礼