宗教間に合ってます!?

2016年10月1日

おはようございます。小出遥子です。

さきほど、最近よくこのBlogの記事をシェアしてくれる友人の
フェイスブックを見ていたら、コメント欄に、
「最近やけに宗教的な書き込みが多いけど、大丈夫……?」
みたいなことが書かれていて、衝撃を覚えました。
「私のBlogをシェアすると、周囲からこんな風に心配されてしまうのか!」と……(笑)

いやあ、笑いごとじゃないですよ……。

うーん……。
「宗教」ねえ……。

どうなんでしょうね?

私がやっていることや書いていることは、
確かに「宗教的」なことばかりだけれど、
でも、これって、そんなに心配されるようなことなのかなあ……。

私は、むしろ、こういう話をすると心配されるということが
ふつうに起きてくるこの世の中の方が心配になってしまうのですが……。

まあね、気持ちはわかります。
一般的には、「宗教」って、どこか「ヤバイもの」
「アヤシイもの」というイメージがあるのでしょうし、
私だって、はっきり言って「教団宗教」は好きじゃないですもの。

素朴な「宗教性」「宗教心」は大事にされるべきだと思いますが、
だからと言って……というか、だからこそ、
かならずしも、なんらかの「教団」に属さなければいけないとは思いません。

現に、私はどこの組織の人間でもありません。
仏教には非常に肌に合うものを感じているし、
念仏も日常的にとなえているけれど、
だからと言って、とくべつ、どこの宗派に属しているわけでもありません。

私は非常にわがままな人間なので、
なにかを上から押し付けられることが嫌いなんです。
「これをやりなさい」とか、「これを読みなさい」とか、
ましてや「これを信じなさい」とか、冗談じゃないです。
そういうのは、おのずから「やりたい」と思われたときに
思いっきりやればいいと感じています。

(もちろん、そういうタイプの「宗教」を否定するものではありません。
単純に、好みと相性の問題です。)

組織なんかに属さなくったって、「宗教的」に生きることは可能です。

「宗教的」に生きるというのは、
ほんとうの「いのち」を理屈を超えたところから知り、
それに沿って生きていくということです。

「いのちを生きる」だけでなく、
「いのちが生きている」ことを知り、
その事実を、ただ、そのままに生きていくこと
……と言ってもいいかな。

ちょっと難しくなってきたかもしれませんが……。

そして、これは、本来、誰にとっても「当たり前」のことなんですよね。
だって、「いのち」と離れて生きている人なんか、
ほんとうはどこにもいないのだから。

「宗教」とは、つまりは「いのち」のことです。

極論すれば、
「いのち」という方向性をもってなされた言動は、
すべて「宗教」の領域のものになります。

だから、
「あ、大丈夫です、宗教間に合っていますんで」
……なんて、本来、あり得ない話なんですよ(笑)。

そのあたりの誤解が解けたら、
この世界はもっと生きやすい場所になるのにな、と。

そんな気持ちから、
私はこのTempleというプロジェクトをはじめました。
(参照:About

少しずつでも、広がっていけばいいなあと思っています。

 

お読みくださってありがとうございました。

よい一日をお過ごしください◎