こころにもないことを

2017年6月2日

おはようございます。小出遥子です。

最近お目にかかった、とっても素敵な方が、
こんな印象的なお話をしてくださいました。

いちばんいい相槌は「こころにもない相槌」なんだよ。
こちらが「こころにもない相槌」を打つと、
相手も「こころにもないこと」をぽろっと言ってしまうから。

こころにもない相槌が、
こころにもない発言を引き出す……。

ちょっとビックリしてしまうようなお話ですよね(笑)。
でも、私は、それを聞いた瞬間、
「うわあ……ほんとうにそうだ……!」って感動したんです。

この、「こころにもない」というのは、もちろん、
「気のない」というのとはまったく趣の異なるものです。

なんていうんだろ……。
あえて置き換えるのなら
「意識の範囲外からやってくる」みたいな感じかなあ。

「相槌を打とう! 打たなきゃ!」という意識で打たれた相槌よりも、
自分でもまったく意識しないところで不意に打たれた相槌の方が、強い。

なぜ「強い」のか?
すべての分離が起こる以前の、
ひとつらなりの「いのち」の記憶を呼び起こすからです。

するとなにが起こるのか?
そこに生まれる対話が、そのまま「いのち」のあらわれになるのです。

私も、日々、「対話」という営みをど真ん中に置いて
さまざまな活動をしていますが、
仕事でも、プライベートでも、
「ああ、いい対話だったな~」という感動を覚えるときは、同時に、
「でも、なに話したかほとんど覚えていないな~」
とも思っていることに、最近、はたと気がつきまして。

「具体的なことは覚えていないけれど、でも、なんか、素敵だった……」
という余韻がある対話を、
「こんなこと話してたのか!」と感動しながら(笑)文字起こしして原稿にまとめると、
かなりの確率で、自分でも満足のいく記事ができあがる。

それは、やっぱり、無意識の潮流というか、
ひとつらなりの「いのち」のダイナミズムが
そこにダイレクトにあらわされるからだと思うんですね。

面白い……。

すごくいいことを教えていただいた気がしています。

でも、「こころにもない相槌を打とう!」と意識すると、
その途端にそれは「こころにある相槌」になってしまうので(笑)
まあ、なかなかむずかしいというか、狙ってできるものではないのですが。

あえて言うのなら「信頼感」がキーになるかなあ。
「いのち」に対する(対する、ということばも正確ではないですが)絶対的な信頼感。
その中で、ふわっと、遊ぶように、すべての「対話」を、
ひいては「いのちのダンス」を、たのしめたらいいな、と思っています。

よい一日をお過ごしください◎

 

≪今後のTempleのスケジュール≫

【6/5(月)】Temple@髙願寺
(ゲスト:小笠原和葉さん/まだまだお席ございます!)

【6/16(金)】Temple@瑞泉寺
(ゲスト:小竹めぐみさん/京都での初Templeです! ふるってご参加くださいませ)

【7/23(日)】Temple School 特別イベント第2弾(ゲスト:横田南嶺さん、藤田一照さん) ※満員御礼