収穫には立ち会えないかもしれないが、できるだけ多くの種を蒔こう

2017年6月8日

おはようございます。小出遥子です。

今日のブログタイトル、

「収穫には立ち会えないかもしれないが、できるだけ多くの種を蒔こう」

これは、旧ソ連の大統領、ミハイル・ゴルバチョフ氏のことばだそうです。

私が高校生だった頃に、ものすごく人気のあった326(ミツル)さんという詩人が、
ご著書の中でこのことばを紹介していて、それを読んだのです。
当時の私は、このことばを知って、ほんとうに、大変な衝撃を覚えました。

自分の手で結果を得ることができない(かもしれない)もののために
できる限りのことをするって……そんなこと、人間に可能なの……!? と。

この問いはそのまま人生の「公案」となり、
その後、私は、折に触れてこのことばを思い出しては、その意味を、
ああでもない、こうでもない、と考えることとなったのでした。

それから年月は流れ……。

最近になって、私自身、ようやく、
「もしかして、こういうことなのかな……?」
と実感できるようになってきた気がします。

この公案を解くカギは、「願い」でした。

私には、大きな大きな夢、というか、願いがあります。
その願いこそが、私の、いまのさまざまな活動の源にあるものです。

その願いは、もはや、ちっぽけな小出遥子の願いを超えています。
小出遥子個人を満たすためだけに発せられた願いなんかではないのです。

それは、文字通り、生きとし生けるものすべてに向けられた願いです。

その願いは、かならず成就することを知っています。
確信を超えて、確信しています。

それがいつになるかはわかりません。
そのときに、私個人のいのちがあるのかどうかもわかりません。

でも、そんなことはそもそも問題にならないのです。

大きな大きな願いを持ち、そのための行動をしている私は、
いま、ここにおいて、完全、完璧に、満たされ切っているからです。

だから、その願いは、ある意味、私の中では成就しているのです。
「すでに」そして「常に」成就しているのです。

思い描く「未来」が、目の前に、
実際に手に触れられるものとして出現するのは、
ずっとずっと先のことかもしれない。
そのとき、私は生きているかもしれないし、死んでいるかもしれない。

それでも。
ひとつでも、ふたつでも、より多くの種を蒔こう。
収穫祭に集う人々の笑顔を思って、たくさん、たくさん種を蒔こう。

これは決して「イイコちゃん」な発言ではありません。

種を蒔く私は、実際のところ、収穫を祝うすべての人々と、
まったく同じ「しあわせ」を味わっているのだから。
いま、ここにおいて、完全、完璧に、味わい切っているのだから。

そんなことを思っています。

よい一日をお過ごしください◎

 

≪今後のTempleのスケジュール≫

【6/16(金)】Temple@瑞泉寺
(京都での初Templeです! ふるってご参加くださいませ)

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