「屁ひとつだって、人と貸し借りできんやないか」

2017年6月9日

おはようございます。小出遥子です。

最近、「嫉妬」というキーワードから、いろいろなことを考えていました。

「嫉妬」っていうのは、
「自分にはやれないことを思いっきりやっている誰か」
に対して向けられる感情ですよね?

うん。

で、嫉妬感が自分の中に湧き上がっているときって、
ものすご~く不快で、つらいんですよね。

ええ。ええ。身に覚えがありまくりです……。
あれはほんとうに苦しいものです……。

でも、よくよく考えてみれば、これもおかしな話で。

だって、そもそも自分と他人は絶対的に違う存在なわけですよ。
あなたも、わたしも、完全、完璧に、唯一無二。

「屁ひとつだって、人と貸し借りできんやないか」というのは
曹洞宗の故・澤木興道老師のことばですが、これ、ほんとうにそうで。

私がオナラをしたら、そのオナラは私のオナラです。
私のオナラを隣の山田さんのオナラに変更することはできません。

……いや、朝っぱらからオナラオナラ言ってて恐縮ですが。

とにかく、この話からも分かるように、
「わたし」と「あなた」は絶対的に違う存在なんです。

絶対的に違う存在だからこそ、
絶対的に違うことをやっていて当然なんです。
だから、それをうらやんだりやっかんだりする必要なんか、
ほんとうはどこにもないんです。

人間のからだでたとえるとわかりやすいかもしれませんね。

目も、胃も、それぞれの機能を果たしています。

目は、なにかを見る機能。
胃は、食べものを消化する機能。

目は、ただひたすらに目をやっているだけです。
胃は、ただひたすらに胃をやっているだけです。

目が、食べものを消化しようとしますか?
胃が、なにかを見ようとしますか?

しないですよね。
目は目を、胃は胃を、ただひたすらにやっているだけです。

そうやって、ひとつの人間のからだが正常にはたらいていくわけです。

もし、目が「俺は食べものを消化したいんだ!」と言って胃の真似事をはじめたり、
胃が「物事をはっきり見たいんです!」と言って目の真似事をはじめたりしたら、
しっちゃかめっちゃか、大混乱です。
人体が人体として機能しなくなってしまいますよね。

自分以外の誰かをうらやんで、自分以外の誰かになろうとするのは、
はっきり言って、これと同じぐらいナンセンスなことなんです。

自分は、自分以外の誰かには、絶対になれません。
自分は、自分として生きるしかないんです。

でも、目が目を、胃が胃をまっとうしたときに、はじめて、
ひとつのからだ、大きな大きなひとつのいのちをも
同時に生きている自分に気づけるんです。

「わたしはわたし」「あなたはあなた」を全身全霊で生き切って、はじめて、
「わたしはあなた」「あなたはわたし」という世界が見えてくる。

ほんとうの意味での「平和」は、そこにしかないのだと思います。

自分にやれないことをやっている誰かに対しては、
「自分にやれないことをやってくれてありがとう」。
それだけでいいんですよ、ほんとうはね。

そうは言っても、嫉妬の炎ってそう簡単には消えてくれないんですけどね……。
まあ、それもある意味「エネルギーがあり余っている証拠」「元気な証拠」なので(笑)
今度は、それを、本気で自分自身を生き切るということに向けてみればいいですね。

そっちの方がたのしいし、自他の平和につながるし、言うことないです。

唯一無二の自分を、ただただ生き切ってしまいましょう!

よい一日をお過ごしください◎

 

≪今後のTempleのスケジュール≫

【6/16(金)】Temple@瑞泉寺
(京都での初Templeです! ふるってご参加くださいませ)

【7/23(日)】Temple School 特別イベント第2弾(ゲスト:横田南嶺さん、藤田一照さん) ※満員御礼