No more 「正しさ」

2017年6月10日

おはようございます。小出遥子です。

最近いよいよ思うのが、

「深刻ごっこ、もう、飽きたな……」

ってこと。

あはは。軽いですね~(笑)。

いや、でも、ほんとうです。

深刻さ、百害あって一利なし、です。

真剣さはあっていいけれど、深刻さはなくてもいい。
というか、できるだけない方がいい。

深刻さが顔をのぞかせると、なんというか、重くなるんですよね。
身も、心も、重くなってしまう。
すると、思うように動けなくなってしまう。

これって、単純に、苦しいんです。

苦しいのは、嫌ですよね。

で。

なんで人間が深刻になってしまうのかと言うと、
そこに「正しさ」という概念を持ち込んでしまうからだと思うんですね。

一度自分の中でなにかを「正しい」に設定してしまうと、
それ以外のなにかを「正しくない」と認定することになる。

で、「正しくない」ものは「良くないもの」、
もっと言えば「悪いもの」として、
自分の世界から排除すべく、戦いをはじめてしまうんです。

すると、常に、「殺(や)るか」「殺(や)られるか」の
緊張感の中で生きることになる……。

これは、つらいです。まったく気が休まりません。

でも、そもそも、そんなことする必要なんかあるのかな? というところで。

客観的な「正しさ」なんて、はじめから存在しないんです。
「正しさ」は、個人個人の頭の中にしか存在しない。
もっと言えば思考の産物でしかない。
はかなくもろい、単なる概念なんです。概念でしかないんです。

そんなものに自分を預けて、挙句誰かと戦って、
平和に生きる権利を放り投げてしまうなんて、つまらなくないですか?

「正しいよりたのしいを!」って、
最近いろんなところで聞きますけれど、
これ、かなり核心をついたことばだと思うんです。

「正しい」より「たのしい」の方が正しいのです!!!
……とか言い出したら、もう、目も当てられないですけれど、
もちろん、そういうことじゃなくて(笑)。

「正しい」は、首から上だけで考え出したもの。
「たのしい」は、全身全霊で、ただ、感じるもの。

「正しい」は、主張すればするほど深刻になって、
自分も周りもどんどんどんどん苦しくなっていくけれど、
「たのしい」を味わっている人には、
そもそも苦しみが入り込む余地すらない。
そこには本質的な軽やかさしかないからです。

平和というのは、集団的な「正しさ」の先に、ではなく、
個人的な「たのしさ」の先に開けているものなのだと思います。

まずは自分が、軽やかに、たのしく生きること。
平和な世界は、そこからはじまっていくのでしょう。

私は、そう感じています。

よい一日をお過ごしください◎

 

≪今後のTempleのスケジュール≫

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