たのしければなんでもいい?

2017年6月11日

おはようございます。小出遥子です。

昨日のブログで、「正しいよりたのしいを」みたいなことを書いたのですが、
それをお読みくださった方から、こんなコメントをいただきました。

正しく無い危険な楽しさもあります。
その存在からは目を背けてはいけないと思います。
そこさえ間違わなければ、「楽しい」大推奨です。

なるほど、「危険な楽しさ」ですか。
たしかに、「たのしい」にもいろんな種類がありますものね。
たのしければなんでもいいのか、というと、
話はそんなに単純なものでもなくて……。

それに関しては、今年の1月に、私、こんなことを書いていました。

言わずもがな、ではありますが、
「たのしい」ことが「正しい」ことなのです!
とは、私は言っていないです。
そうなったら本末転倒も甚だしいですからね。

あと、「真実」に代わるものとして「たのしさ」を求めるというのは、
ちょっと「危険」かな? と思っています。
だって、それって結局二項対立を脱しきれていないですから。

そのままなにか大事なものを「見て見ぬフリ」しながら
物事を押し進めると、後に大きなひずみとなって
自他を傷つけるようなことにつながってしまうのだと思う。

たぶん、すべてを自分の頭の中だけで完結させようとすると、
「たのしさ」すら「正しさ」に姿を変えて、
話がおかしくなっていくのではないかなあ……。

人間、ほんとうに、肚の底からたのしいことをしているとき、
そこにはすでに「真実」や「他者」が内包されているはずなんです。

だって、ほんとうに「たのしい」ことをしているとき、人間は、
全身全霊で、大きな「つながり」の中にある自分を感じるというか、
「つながり」こそが自分である、と、理屈を超えてわかるから。
その感触はほんとうにリアルなので、気づけない人はいないと思う。

逆に言えば、その感触がない「たのしさ」に関しては、
徹底的に疑った方がいいです。

私、いま、頭だけで考えられた「たのしさ」に
はまりこんでいないかな? って。

いや、はまってしまってもいいんです。
人間だもの、そういうときだってあります。
(私だってめちゃめちゃあります!)
それに気づいたのなら、そこから仕切り直せばいいんです。

そうやって、トライアルアンドエラーを繰り返しながら、
自分にとって、そして結果的には他者にとっても大切な
その時々の「たのしさ」を探っていって、それを大切にしながら、
瞬間瞬間を生きていけばいいのだと思う。

……うん。割と過不足なく書けていますね(笑)。
1月の私、グッジョブです。
6月の私が追記すること、とくにないです。

あ、ひとつだけ。
これは「御国のために!」的な全体主義思想とはまったくの別物ですよ!
ということだけは追記しておきましょう。

ということで、はっきり言って「手抜き」なのですが、
今日はここまでにしようかな、と(笑)。

す、すみません……。

まあ、「正しいよりたのしいを!」に限らず、なんにせよ、
スローガン的なものを取り入れる際には注意が必要ですね。

注意というか、ちゃんと、頭だけじゃなくて、
自分の「からだ」で判断することが必要。

自分は、ほんとうに「つながり」を感じられているかな? って。

それは、必須のプロセスだと思います。

コメント、ありがとうございました。
おかげさまで大事なポイントを補足できました。

みなさん、よい一日をお過ごしください◎

 

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