「ふるさと」があるから「旅」ができる。

2016年10月2日

おはようございます。小出遥子です。

おかげさまでいろいろ安定してきました。
体調も、感情の波も、仕事上のあれやこれやも……。

あたらしい月と新月の到来とを同時に迎え、
ふわっと「抜けた」感じがする。
あくまでも「感じ」ですが、こういうのって、大事ですよね。

いや、どうだろうな。
「抜けた」というよりは、「着地した」という表現の方が正確かな。

「着地」って、どこに?
「ふるさと」としか呼べない場所(場所でもないけれど)に。

今回、いろ~んな波に一気に襲いかかられて
あっぷあっぷしていたわけですが、
でも、ここにも何回も書いているけれど、
私、ベースの部分で絶対的に「大丈夫」だったんです。

ほんとうに「大丈夫」だったの。

「大丈夫」だということを信じている、というよりは、
「大丈夫」そのものとしてあった。

表面上の「私」はあっぷあっぷしているけれど、
それと同時に、
なにがあってもぜったいに動じない「なにか」があって、
それは、いつ、どんなときでも、
この「私」と「ひとつ」であることが
理屈を超えたところで理解されていて、
事実、ほんとうに「ひとつ」としてあった。
だから、ほんとうに「大丈夫」だった。

……いやあ、日本語が崩壊しておりますなあ(笑)。

なんかね、でも、強く思ったんですよね。

この「大丈夫」が、
「ふるさと」として、いつだって待っていてくれる。
だから「私」は思いっきり旅ができるんだなあ、って。

物理的な旅も、精神的な旅も、なにもかも、
この「ふるさと」があってこそなんだなあ、って。

「ふるさと」は、いつだって、間違いなく「私」とともにある。

素直に、フラットに、「ああ、そうだなあ」って。
「ありがたいなあ」って。

その「ありがたいなあ」の地平に、ストンと着地できた。
私は、いま、ほんとうに、自由です。

ここから、また、あたらしい旅がはじまっていきます。
どこまでも、遠くへ行こう。

 

お読みくださってありがとうございました。

よい一日をお過ごしください◎