「一切智に帰依する」

2017年6月28日

おはようございます。小出遥子です。

今日は、最近私がとても感動した文章をご紹介します。

 老師によると仏教には、「一切智に帰依する」という考え方があるという。「一切智」とは全てを知っている存在だ。自分の恥ずかしいことから生まれる前のこと、死んだあとのことなど自分のことから宇宙の始まりまで時間軸、次元を超えた一切の情報を知っている存在だ。書いて伝えることのできる知識だけではない。

 人に知ってもらうと、人は安心する。さらに、人以外の大きな存在、それは仏と言っても良いし神といっても良い、でもその存在が全てを知ってくれていると感じることが出来れば、孤独であっても、勿論、孤独死の渦中でも安心があるのだろう。

 仏が宇宙か分からないが、自分の一切を誰かに知ってもらっていると、ふと根拠なく感じる瞬間があれば、人は一人でも悠々と死んでいけるのだろう。

(『円覚』318号 漢方医・桜井竜生氏のエッセイ「「知る」こと」より抜粋)

上記は、著者の桜井先生が、円覚寺の横田南嶺老師と対話される中で
生まれてきた気づきだそうです。

私は、ここで語られている「一切智」の感覚を「知って」いる気がします。

いや、私だけじゃなく、生きとし生けるものすべてが、きっと、
深いところで「一切智」の存在(存在、と言って良いものなのかどうか……)を、
理屈を超えて「知って」いるのだと思う。

なぜなら、それ(あるいはそこ)は、万物のふるさとだから。
すべて、それ(あるいはそこ)から生じ、それへと還っていく。

死は、「出立」などではなく、むしろ「帰還」。

文字通り自分の「すべて」を知った上で、
「おかえり」と抱きとめてくれるふるさとへの帰還。

そう思えば、死は、本質的にはなにも怖くないし、
悲しむべき事象でもないのかもしれません。

「一切智に帰依する」

折に触れて思い出したいことばです。

桜井先生の文章が素晴らしいので、私は今日はこのあたりで引っ込みます。
エッセイ全文は、冊子『円覚』318号で読めます。ぜひ!

よい一日をお過ごしください◎

≪今後のTempleのスケジュール≫

【7/9(日)】Temple@法然院
(ゲスト:梶田真章さん)

【7/23(日)】Temple School 特別イベント第2弾(ゲスト:横田南嶺さん、藤田一照さん) ※満員御礼