ホッキョクグマと皇帝ペンギン

2017年7月10日

おはようございます。小出遥子です。

昨日は京都鹿ケ谷の法然院さんでのTempleでした。
憧れの法然院さんでのTemple、感無量でした。
あの素晴らしいロケーションと梶田貫主の細やかなお心遣いのおかげで、
いつも以上にゆったりと落ち着いた、穏やかな対話の場になったように思います。
みなさま、ほんとうにありがとうございました。
たくさんの素晴らしい出会いに感謝です。

さて、今日は人間関係のお話を。

人間って、どうしても、目の前にいる相手を
「肩書き」とか「役割」とかで見てしまう部分があるんですよね。
たとえば取引先の社長さんだとか、直属の上司だとか、
あるいは夫だとか、彼氏だとか。

これは人間が社会的な動物である以上、仕方のないことだとは思います。
でも、あまりにそういうものの見方が強くなりすぎると、
お互いに疲弊してきてしまうんですよね。

肩書きや役割で相手をみると、そこに「べき」が生まれてしまうんです。

上司なら○○すべき/しないべき、とか、
夫なら○○すべき/しないべき、とか。

「べき」って、あくまで自分の思い込みであって、それ以上のものではないのに、
それにがんじがらめになると視野が狭くなって、
「これこそが正義!」とばかりに
自分の思い通りにならない相手を責めはじめてしまう。

なんか書いているだけで疲れてきましたけれど(笑)
これって人間関係のあるあるネタなんじゃないかなあ。

みんな、ほんとうは、苦しみたくなんかないはずですよね。
じゃあ、素直に、苦しまずにいられる道を探りましょう!

私のオススメは、相手を新種の動物として見ること。

コイデヨウコならコイデヨウコ、
サトウケイスケならサトウケイスケという名の動物として見るんです。
あ、サトウケイスケって夫の名前なんですけれどね。

自分と相手を同じ人間としてひとくくりにしてしまうから、
自分がしていることを相手もしないと腹を立てるし、
「○○すべき!」という押しつけが生まれてしまうわけですよね。

でも、そもそも、人間、ひとりひとり、ぜんぜん違う生き物なんです。
ひとりひとり、それぞれに、顔つきも体つきも声も性格もまるっきり違う。
違うからこそ、世界に彩りが生まれるわけです。

人間、この事実を忘れてしまいがちなんですよね。
そこにすべての間違いがあるような気がするんです。

自分がホッキョクグマだったら、
相手にもホッキョクグマとしての対応を求めてしまうんですけれど、
でも、そもそも相手はホッキョクグマじゃなくて
皇帝ペンギンなのかもしれないんですよ?

ホッキョクグマにできることのほとんどが皇帝ペンギンにはできないし、
逆に皇帝ペンギンにできることのほとんどがホッキョクグマにはできない。
これは当然のことです。

人間もこれと同じです。
コイデヨウコにできることのほとんどがサトウケイスケにはできないし、
サトウケイスケにできることのほとんどがコイデヨウコにはできない。
これも当然のこと。
だってそもそもまったく違う生き物なのだから。

ちょっと極端に聞こえるかもしれないけれど、
このぐらいに思っておいた方が、ある意味、間違いはないと思う。

自然界においては、北極に住むホッキョクグマが
南極に住む皇帝ペンギンに会うことはないわけですけれど、
人間界においてはこういうこともふつうに起きているわけですよね。

ホッキョクグマみたいな人と、皇帝ペンギンみたいな人と、
モリアオガエルみたいな人と、ミーアキャットみたいな人が、
一見して似たような姿をして、ゴチャ混ぜになって暮らしている。
それが人間界の面倒なところでもあって、面白いところでもある。

人間関係の面倒さを嘆くのは簡単だけど、それだけじゃなににもならない。
人間界の面白みを存分に味わいたいのなら、
自分と相手をそれぞれまったく違う生き物であると認め、
その違いを尊重し合いながら、
それ以上でもなく、以下でもなく、ただ、ともに生きていくこと。
そこに尽きるような気がしています。

こんなに違う生き物同士が、いま、こうしていっしょにいること、
それ自体が非常にうつくしい奇跡です。

そのうつくしさに、もっと目を向けられるといいな、と思います。

あ、一応言っておくけど、
私自身が夫婦関係に悩んでいるとかじゃないですよ(笑)。
ただ、サトウケイスケの名前が出しやすかったから出しただけで。あしからず!

よい一日をお過ごしください◎