「こびとさん」と「抜苦与楽」

2017年7月12日

おはようございます。小出遥子です。

仏教のことばに「抜苦与楽(ばっくよらく)」というものがあります。

辞書には

ばっくよらく【抜苦与楽】
〘仏〙 仏・菩薩や善行の力により苦が取り除かれ楽が与えられること。

大辞林第三版より)

と載っていますね。

で、これはあくまで仏側、菩薩側からの目線なわけですが、
今日はこれを、私たち人間目線から解説してみたいと思います。

人間の側から「抜苦与楽」ということばの意味を見ていくと、

「苦」のカラクリが見抜かれたところに、
「楽」の姿が見えてくる。

というような意味になるかと思います。

これをさらに噛み砕いて、小出用語で解説すると、

頭の中に住む、嘘つきで自分そっくりな「こびとさん」の声に騙されなくなったとき、
これまでもずっとそこにあった「しあわせ」に気づけるようになる。

……ということになりますかね。

だから、仏教で言う「楽」と、
私の言う「しあわせ」は同義だということです。

一般的に「楽」とか「しあわせ」とか聞くと、
なにか享楽的でふわっと浮ついた、
地に足の着かないものをイメージされがちだと思うのですが、

むしろ、いまここにしっかりと立脚したとき、はじめて感じられるのが、
本来的な「楽」や「しあわせ」というものであると、私は理解しています。

「楽」や「しあわせ」って、派手派手しいものじゃなくて、
むしろしみじみと、細やかに感じられるものなんですね。

で、それは、これまでもずっとずっと“ここ”にあり続けたわけですけれど、
頭の中のこびとさんの「苦しいよ~! 苦しいよ~!」の声に騙されて、
そちらにほとんど目が行っていなかったんですね。

「ある」のに「ない」と勘違いして、
「しあわせ」の在り処とはまったく別のところを探し回っていたら、
そりゃあ、心身ともに疲れてしまいますよね。

もう、そんなことはやめてしまいましょう。

「楽」、つまり「しあわせ」はいつだって“ここ”にある。
その事実を、まずはしっかりとおなかに据えてください。

いまここにおいてしみじみとした「しあわせ」を感じられないときは、
もれなく、こびとさんの声に騙されています。

でも大丈夫です。
「あ、私、いま、こびとさんに騙されてる!」と気づくことさえできたら、
こびとさんはシュンとして、おとなしくひとりで遊んでくれるようになりますから(笑)。
それを、都度、くり返せばいいんだけですね。
こびとさん、恐るるに足らず、です。

「しあわせ」って、こんなに簡単でいいの?
こんなに簡単でいいんです。

「楽」、つまり「しあわせ」の感覚があるのが通常であって、
「苦」、つまり「不幸せ」の感覚があるのが異常なんです。

苦しいだけが人生じゃない。
人間、もっともっと楽に、愉快に生きていくことは可能です。

こびとさんの嘘を嘘だと見抜いて(=「苦」のカラクリを見抜いて)
そこにある「しあわせ」をしみじみと感じて(=すでに与えられている「楽」に気づいて)
ただただたのしく、軽やかに、さわやかに、生きていきましょう。

よい一日をお過ごしください◎