心がそれを叫ぶなら

2015年4月4日

先日、「変化がこわいなら、自分が変化そのものになればいいじゃない」(マリー・コイデワネット)的なことを書きましたが、

 

あれからずっと「変化」を「こわい」と感じる、その気持ちについて考えています。

 

 

 

人間の脳はそもそも変化を嫌うようにできている、という話は割とよく聞きますね。

 

自分の身の安全を守るために、どうにか現状を維持しようとするのだ、と。

 

ふむ、なるほどね……と納得しかけてしまいます。

 

でも、ちょっと待てよ、と。

 

そもそも、なぜ、「現状維持」=「安全」だと思ってしまうのかな? というところで。

 

本当に現状こそがベストなのかな?

 

本当に本当にそう思う?

 

心からそう思う???

 

そこに対する思考を停止したままで「いまが一番!」っていうのは、どうなんでしょうか。

 

 

 

もし、いまのままで、まったくなにも変わらず、1年後、3年後、5年後、10年後も過ごしているとしたら?

 

まったく、ほんとうにまったく、なにも変わらず、ですよ?

 

状況は何年経っても1ミリも動かないままに、自分だけが歳をとっていく……

 

こう想像してみたとき……どう感じますか?

 

頭で考えずに、心で、素直に感じてみてください。

 

 

 

どうですか?

 

 

 

「ぜんぜんOK!」

 

と自信持って答えられるなら大丈夫です。

 

あなたはすでにあなたの歩むべき道を歩んでいます。

 

ばっちりです。

 

素晴らしいです。

 

なにも問題はありません。

 

どうか、そのまま、胸を張って進んでいってください。

 

 

 

でも。

 

もしそこに、ほんの少しでも、

 

「嫌だな……」

 

という気持ちが混じるのなら。

 

変化をこわがる自分と、真剣に向き合うべきなのだと思います。

 

 

 

それに、変化って、いざ飛び込んでしまえば、

 

つまり自分が変化という動きそのものになってしまえば、

 

実は、ぜんぜん恐ろしいものではなかったりするんですよね。

 

崖っぷちに立った瞬間、緊張感、恐怖感はマックスまで高まるけれど、

 

いざ肚を括って大海原へと飛び出してみたら、あとは波と一体となって「運ばれていく」だけで。

 

運ばれて、運ばれて、運ばれて……

 

気がついたら、またあたらしい地に辿り着いていることでしょう。

 

そこには、見たこともない光景が広がっていることでしょう。

 

それを見たい気持ちがあるのなら、心がそれを求めているのなら、

 

どうか、頭で考えたこと(「おそれ」をベースに選んだこと)に負けないでください。

 

 

 

「変化」を外側から眺めるからこわくなるんです。

 

「中の人」になってしまえば、たいしたことありません。

 

一歩踏み出す勇気は、自分の中にかならず備わっています。

 

 

 

それに、どうなったって、最終的には「大丈夫」なんです。

 

私たち、ほんとうはいつだって大丈夫。

 

いつだって救われているんです。

 

これちょっと抽象的な話なんですが、でもほんとうのことです。

 

ぜったいに大丈夫。

 

だから安心して、自分の心がまっすぐに指し示す方向に向かって進んでいってください。

 

頭の声に負けないで、心の声にしたがってください。

 

大丈夫だから。

 

 

 

 

 

 

 

なんか偉そうにすみません。

 

今日の記事は、過去の自分に宛てて書いたラブレターみたいなもんです。

 

届きますように。