結婚することになりました。

2015年4月8日

日本語では「おのずから」と「みずから」とは、ともに「自(ずか)ら」と「自」の字をもって表します。そこには、「みずから」為したことと、「おのずから」成ったこととが別事ではないという理解が働いています。

 

われわれはしばしば「今度結婚することになりました」とか「就職することになりました」という言い方をしますが、そうした表現には、いかに当人「みずから」の意志や努力で決断・実行したことであっても、それはある「おのずから」の働きでそう“成ったのだ”と受けとめるような受けとめ方があることを示しています。

 

「できる」という言葉にも同様の事情がうかがえます。「出来る」とは、もともと「出で来る」という意味です。物事が実現するのは「みずから」の主体的な努力や作為のみならず、「おのずから」の働きにおいて、ある結果や成果が成立・出現することによって実現するのだという受けとめ方があったがゆえに、「出で来る」という言葉が「出来る」という可能の意味を持つようになったとされているものです。さらには自発の「れる」「られる」の助動詞が、そのまま受身でもあり可能でもあるというところにも同じ発想を見いだすことができます。

 

(竹内整一著 『花びらは散る 花は散らない ―無常の日本思想』 角川選書 より抜粋)

 

 

 

 

 

どうにかこうにか引っ越すことができまして、昨日から新生活をスタートさせました。

 

いまにも崩れてきそうなダンボールの山の中で、びくびくしながらこの記事を書いています。

 

 

 

今回の引っ越しは、ほかでもない、「結婚」のためのものでした。

 

そう、私、人妻になるんです……!

 

本日、4月8日(お釈迦さまの誕生日!)の午後イチで、役所に届けを出しにいきます。

 

無事に受理されたら甘茶で乾杯です。

 

 

 

作家の吉本ばななさんが、エッセイの中で、

 

「親や子どもを選べないように、結婚相手も選べないようになっている」

 

といったようなことをお書きになっていて、

 

最初にそれを読んだときには、さすがに「えええ? まさか!」と思ったのですが、

 

入籍を数時間後に控えたいま、

 

「わかる……わかるよ、ばななさん……!」

 

という気持ちでいっぱいなのでした。

 

 

 

いや、ほんとそうなんです。

 

「家族になることになっていたから、家族になる」

 

という感じなんです。

 

「そうなっていたから、そうなるだけ」

 

ものすごく淡々と、そう思うのです。

 

 

 

そう……私、あまりにも「淡々としている」のです。

 

決して、

 

「私と彼は結婚する運命だったの~!」

 

という浮足立った感じでも、

 

「そう決まっていたんだから仕方ないでしょ……」

 

という諦めのにじんだ感じでもなく、

 

ただただ、もう、完全に、ひたすらにニュートラルなところから、

 

「はい、家族になりましょう。私たち“家族”として生まれてきたのだものね」

 

と……

 

そんな風に思っているのです。

 

 

 

あ、これ、決して占いとかでなにか吹きこまれたから、こんな風に思い込むようになったわけじゃないですよ!(笑)

 

本当に、実感としてそうなんです。

 

「実感」としか言えないのですが……。

 

 

 

なんだろな、ほんと、そこに自分の意志がどの程度あったのか? と問われると、

 

私、もうなにも言えなくなってしまうんです。

 

「自分が」なにを思ってなにをしたからこうなったなんて、

 

ひとつも言えることがないよなあ……と。

 

そんな風に思うのです。

 

 

 

冒頭で引用した竹内さんの本の続きには、このようにあります。

 

 

 

「今度結婚することになりました」という言い方には、たんに当事者不在の自己弁護だけをしているのではなく、結婚相手に出会うことをはじめ、その後のいろいろな幸不幸の出来事、あるいは人の手助けもふくめて、「みずから」では及ばないところでの働きも相俟って、やっと結婚という事態にいたったという、「みずから」を超えた働きへの感受性が表明されていると考えることができます。

 

(同著より)

 

 

 

うーん、まさに……。

 

“「みずから」では及ばないところでの働き”の連続で、

 

私と彼は、今日、夫婦になることになったのですね。

 

もう、ほんと、「それ」の連続で、今日この日の必然まで運ばれてきたのですね。

 

 

 

いままで出会った人、全員、そう、もれなく“全員”に、

 

「ありがとう」の気持ちでいっぱいです。

 

その中の誰一人が欠けても、本日の私たちの入籍には至らなかっただろう、と、

 

本気でそう感じるのです。

 

 

 

ありがとう。

 

“あなた”がいてくれたから、私たちは、本日、結婚することになりました。

 

 

 

「おのずから」と「みずから」のあわいから、

 

胸いっぱいの感謝を込めて。

 

 

 

 

 

 

 

二〇一五年四月八日 早朝 小出遥子

(数時間後に「佐藤」になるよ!)