宗教は誰にとっても「自分ごと」

2016年10月6日

おはようございます。小出遥子です。

私はよく、
「いやあ、実際に会うまでどんな女性かと思っていましたよ~」
と、なにかほっとしたような顔で言われます。
「記事を拝読していると、イメージが膨れ上がって暴走しちゃって……」
と(笑)。
昨日も某所で初対面の男性に、
「ものすごく達観した、この世の中のことなんかに興味はないわ、
みたいな、すました顔した女性かと思っていました」
みたいなことを言われましてね……(笑)。
「どんなイメージですか! 私、ぜんぜんふつうですよ!
こんな感じの、ごくごくふつうの、32歳の人間ですよ~!」
と笑っていたのですが……。

いや、私はほんとうに「ふつう」なんです。
ぜんぜん「ふつう」。
なんの変哲もない、「ふつう」の、(コケシ似の……)「ただの人」です。

でも、どうなんでしょうかね。
やっぱり、一般的には、こんな(笑)内容のブログを毎日アップしているのは、
決して「ふつう」のこととは思われないのかもしれませんね。

でもでも。
私は、そういう思い込みこそを取っ払ってしまいたいな~
と思っていて。

私が書いているような話って、
ほんとうはなにも特別なことじゃなくて、
誰にとっても「自分ごと」であるはずなんですよ。

だって「いのち」の話なんだから。
「いのち」から切り離されたところで存在している人はひとりもいないはずで……。

だけど、やっぱり、まあ、「宗教」ということばを使うのなら、
(「宗教」ということばを使うのも、現代では難しいですよね……)
そこは、なにか、日常とは切り離された特別な領域であるはずだ、と。
そういう思い込みが、世の中にはまだまだ蔓延していて……。
だから「小出遥子」のイメージが勝手に暴走してしまうんでしょうね(笑)。

まあ、私自身はどんなイメージを持たれても別にかまわないのですが、
なんかね、やっぱり、この構造自体には、ちょっと、疑問を感じます。

みんながふつうに、なんの気負いもなく、
「自分ごと」として、「いのち」のお話ができるようになればいいのにな。

でも、まあ、一足飛びにはいかないですよね。
「色眼鏡」は、そう簡単に外れるものでもないのでしょう。

だから、まずはお寺の本堂という宗教空間で、
ざっくばらんに「いのちからはじまる話をしよう」と。
イベントとしてのTempleは、そうやってはじまりました。
そして、これからどんどんいろんなご縁のあるお寺で
開催させていただこうと思っています。

今月も、開催しますよ。
詳しくは今週土曜日(8日)更新予定のEventページをご覧ください。

さて、今日は少し遠出してきます。
いいお天気で良かった。

 

お読みくださってありがとうございます。

よい一日をお過ごしください◎