「真実」も「正解」もない

2017年7月26日

おはようございます。小出遥子です。

昨日、ツイッターで、こんなつぶやきをしてみました。
連続ツイートです。

人はそれぞれにまったく別々の物語を生きなきゃいけない。それがどんなに「絶対的な真実」のように響いたとしても、個別の物語から発せられたことばである限り、あくまで「現時点でのその人の真実」でしかない、ということは知っておかなきゃいけないと思う。動かない「真実」なんかどこにもないのだ。

私のツイートも、毎朝のブログも、何気ないおしゃべりも、みんなそうです。それらは、あくまで、「現時点での私の真実」でしかない。どこまでいっても。

そして「動かない真実なんかどこにもない」というのも、結局は「現時点での私の真実」でしかないというパラドクス。ほんとうに「どこまでいっても」だなあ……。

以前ほど批判的、対立的な意見を恐れなくなったのは、自分に自信がついたからでも、ましてや調子に乗っているわけでもなくて(笑)、単純に、相手の意見をそのままの大きさで尊重できるようになったからだと思う。「私は、いまは、こう感じるんです。でも、あなたの目から見る世界も素敵ですね」と。

「絶対的な正解」なんかどこにもない、という、「現時点での正解」(笑)を得心してから、自分がすごくやわらかくなったように思う。「正解」に固執することで争いが生まれる。そもそもこの世には「正解」も「不正解」もない、という立場で世界を眺めてみた瞬間、なにかがゆるんでほどけていった。

小出遥子さん、なかなかいいこと言いますね(笑)。

ほんとうに、この世には、
「不変の真実」「絶対的な正解」
なんか存在しないのだと思います。

いや、「存在」はしているのかもしれないけれど、
「体験」のベースが「個人」にある以上、
「物語」としてことばに固定した瞬間に、
その普遍性はもろくも崩れて失われてしまう……。

人間は、どこまでいっても「個人の世界」から抜けられないし、
その意味で、どこまでいっても「ひとり」です。

ほんとうの意味で、同じ「物語」を共有することは不可能なんです。
だって、「物語」はどこまでも「個人」に所属するものだから。

でも、絶望することはないのだと思う。

同じ「物語」を生きることはできなくても、
みなそれぞれに、大切でかけがえのない、自分だけの「物語」を生きている。
その事実を分かち合うことはできるから。

私はあなたの物語を生きることはできないし、
あなたは私の物語を生きることはできない。
でも、「個別の物語を生きている」ことは一緒だね。
「人生」という名の物語を、たったひとりで生きる者同士、
励まし合って、ときに協力し合って、進んでいけたらいいね。

そう、心から思えたとき、「平和」ということばの意味が、
これまでになく立体的に迫ってくるのではないでしょうか。

そんなことを思います。

よい一日をお過ごしください◎