本と私 その1

2015年4月10日

おかげさまで、引っ越し後の片づけも終わりに近づいてきました。

 

床が見える範囲が広くなって、ほっと一息ついているところです。

 

 

 

昨日の夜は、最後に残った本丸、書籍類の整理を済ませました。

 

本に関しては夫婦揃って思い入れが強すぎて、下手に位置を決めることができず、後回しにしていたのです。

 

でも、いざ始めてみたらこの作業がものすごく楽しくてですね。

 

「二人の共通のコアとなる本を、最も取り出しやすい場所に配架しよう」とか、

 

「この本は? 哲学コーナー? それとも仏教コーナー?」とか、

 

「このお坊さんの本は伝統仏教コーナーに置いてしまっていいのかな……?」とか、

 

そういうのが、もう、いちいち面白かったんです。

 

蔵書を一度に眺めることで、いまの自分を構成している要素を客観的に眺められるというか。

 

それらに対する自分の中の優先順位もはっきりわかるし。

 

本を整理することで、自分の頭の中も整理されていきました。

 

このタイミングでこの作業ができて、良かったです。

 

 

 

さて、その作業中、あらためて思ったのですが、私の本の読み方は、以前とはガラリと変わってしまったな、と。

 

以前はありとあらゆるジャンルの本を手当り次第に読むようなところがあったのですが、

 

いまは、気に入った本を、何度も何度も繰り返し読むことに徹するようになったのです。

 

 

 

以前の私の本というものに対する態度は、どちらかと言えば、

 

「自分の中に“軸”を見つけるためのもの」

 

だったような気がするのです。

 

昔の私は、自分がなにを好きで、なにを大切にして生きているのか、自分自身、ちゃんとつかみ切れていないような部分があって。

 

だから、とりあえず本という名の情報の海の中に自らを飛び込ませ、

 

少しでも自分のからだに接触するようなものがあったら、

 

ほとんどなにも考えずに、一旦は飲みこんでしまう、ということを繰り返していたのです。

 

自分自身を知るために、私には、たくさんの本が必要だったのです。

 

どこか、「必死」だったように思います。

 

 

 

それに比べて、いまの私の読書には必死さがない……(笑)

 

たぶん、私は、いつしか、自分の中に“軸”らしきものを見つけることに成功していたのでしょう。

 

「自分」を規定するための読書の時代は終わり、

 

あとはその“軸”を、よりしなやかでたくましいものとしていくための読書というフェーズに入ったのかな……と。

 

 

 

自分の中に“軸”をもった上で、なお、莫大な量の本を読まれる方も多くいらっしゃるとは思うのですが、

 

私の脳みそは、たくさんのあたらしい情報をいっぺんに処理するということがあまり得意ではないので、

 

同じ本を、時期を変えて繰り返し繰り返し読む、という手法を選ぶようになったのです。

 

 

 

この手法の良いところは……

 

と、ごめんなさい、ちょっと長くなりそうなので、ここはまた明日にまわします!