「究極、死んでも大丈夫」

2017年7月30日

おはようございます。小出遥子です。

昨日の記事でも
「人生はゲームそのもの」みたいなことを書きましたけれど、
私がそんな風に思うベースのところには、

「究極、死んでも大丈夫」

という強い信念……というより、絶対的な信頼感があるんですね。

「というより、そもそも人って死なないから」

というかね(笑)。

これ、決して、霊魂云々の話じゃないですよ。
不滅の魂を前提とした転生の話をしたいわけじゃないんです。

それよりも、もっともっと単純に、

「私たち、ほんとうに生まれたの?」

と。

「生まれてないなら、死ぬこともないよね?」

と。

意味、伝わりますかねえ……。

「生」や「死」って、
そもそも「個」というものを前提とした概念なんですよ。

逆に言うのなら、
「個」がないところに「生」や「死」は成り立たない。

大海原に立つ小波を思い浮かべてください。

波って、一瞬ふわっとあらわれたかと思えば、
次の瞬間には「ざっぱーん」と砕け散って、
大海原へと帰っていきますよね。

波の誕生から消滅までをカメラに収めて、
「これが波の一生です」と言うことはできるでしょう。

でも、その背後には、
生じることも滅することもない大海原が
いつだって静かに存在しているわけですよね。

そもそも、波と海は切り離せませんからね。
どこからが波で、どこからが海なの? という話で。

その事実に気づくと同時に、
なにかがふわっと解放される感じがしませんか?

個別のいのちもこれと同じです。

個別のいのちの背後には、
生じることも滅することもない全体のいのちが
いつだって静かに存在している……。

だから、ほんとうの意味では、人は死なないんです。

……とは言え。

個別の私は個別の私として、
「はじまりと終わりのあるいのち」をまっとうしなければいけない。

それは、この世のルールです。

でも、根っこの部分に「大丈夫」を持っていれば、
それこそゲーム感覚、遊び感覚で、
人生を軽やかに爽やかに生きて、そして死んでいくことが可能になる。

「死んでも大丈夫だけど、いま生きていることは事実なのだから、
私なりに今日という日を精一杯生きさせていただきます」

という感じかな。

深刻にならずに、真剣に。
今日も、たのしく生きていこう。

よい一日をお過ごしください◎