「人生」をほんとうの意味であきらめると

2017年7月31日

おはようございます。小出遥子です。

昨日、ツイッターにこんな投稿をしました。

「人生、こんなもんでしょ」という諦めから見る景色と、ほんとうの意味で「人生」をあきらめたときに見えてくる景色は絶対的に違う。

これに対して「くわしくお聞かせください」
というリプライをいただいたので、

そこに「自分」がいるかどうか、ですかね

とお返事したのですが、
なんとなく言葉足らずだったような気がするので、
ここで補足します。

まあ、ごくごく簡単に言ってしまえば、

「自分」の不在を完全に見抜いたところに、
ほんとうの意味での「人生」が広がっている

……ということになりますかね。

「ごくごく簡単」でもなかったか(笑)。

昨日の記事で使ったたとえで言えば、
「自分」を「波」と見るのか、「海」と見るのか、
みたいな話になってくると思います。

「自分は小さな波に過ぎない……」と考える人の人生と、
「自分は波でもあるし、海でもある」とあきらめた(明らかに見た)人の人生。

どちらも尊い人生ではありますが、
そのサイズ感というかスケール感が変わってくるのは当然で。

「人生」をほんとうの意味であきらめた人は、
ごくごく自然に、自分以外の他者のために、
自分の人生を使うようになるみたいです。

「海」としての人生を歩む人にとって、
そこに浮かぶ「波」は、ある意味すべて「自分」なんです。

「世界」のためになにかをすることが、
そのまま「自分」を豊かにすることにつながっていて、
「自分」のためになにかをすることが、
そのまま「世界」を豊かにすることにつながっていて……。

ほんとうは、それが当たり前、なんですよね。
そういう風にできているみたいです。

もしここで言っていることの実感が持てなくても、
「そういうもんか」といったん受け取って、
そう思って生きてみると、それだけで見える景色は変わってきます。

遊び心でやってみるのもたのしいですよ。

7月も終わりですね。セミの声がにぎやかです。
今週もがんばりましょう。

よい一日をお過ごしください◎