結婚は筋トレだ。

2015年4月17日

数年前に、あるとても有名な手相観の女性に鑑定をお願いしたことがあります。

 

彼女は私の手のひらを一目見るなり(2秒もかからなかった)

 

「あなた作家さん? 文章を書いて生きている人の手をしているわね」

 

とおっしゃいました。

 

こちらが一言も自分に関する情報を伝えていないにもかかわらず、です。

 

中指にペンダコをこさえていたとか、右手の側面が真っ黒だったとか、ゲラの入っていそうな巨大なトートバッグを抱えていたとか、そういう外部情報も一切ない状態で、です。

 

それでもう、私、すっかり嬉しくなって、

 

「この方は素晴らしい手相観さんだ……!」

 

と、ほとんど一瞬のうちに、その女性に全幅の信頼を置いてしまったのでした。

 

実際、あれから数年が経ったいま、彼女の予言(?)は、ほぼ100パーセントの確率で実現しているので、

 

ふーむ、おもしろいものだなあ……と感心しています。

 

彼女は私の結婚時期もばっちり予言してくださったのですが(そしてそれはつい先日現実に……!)

 

その時点では、私、こんな風に言われていたのでした。

 

「あなたね、いまは結婚できないわよ。だって結婚に対する筋肉がついていないもの」

 

って。

 

 

 

結婚に対する筋肉、略して「結婚筋」。

 

なるほど。

 

たしかに、いま振り返って思うに、その頃の私に、「結婚筋」なんか、ほとんどついていませんでした。

 

だってその頃の私、ぜんぜん自分の足で立とうとしていなかったもの。

 

完全に、自分の外側に「しあわせ」を求めていたもの。

 

 

 

「結婚筋」が鍛えられた状態っていうのは、つまり、

 

結婚相手に「しあわせ」を要求しないで生きていける状態、もっと言えば、

 

自分の「しあわせ」は自分で守る! という態度のことなんじゃないかな、と思うんです。

 

 

 

結婚してまだ十日足らずだし、ほんと、わかったようなことなんかぜんぜん言えないし、生意気にもほどがあるぜ! ってことは重々承知の上で、敢えて言います。

 

“結婚したら、「しあわせ」になれる”だなんて、幻想中の幻想です。

 

いや、これ別に「結婚は人生の墓場だ」とかそういうことを言いたいわけじゃ決してじゃなくて、

 

ただ、結婚してもしなくても「しあわせ」だよ、

 

私たちは外側の条件にかかわらず、ほんとうはいつでも「しあわせ」なんだよ、ってことです。

 

 

 

あくまで私の場合は、ですが、

 

相手に自分の「しあわせ」を丸投げしてしまう自分から卒業した上でないと、結婚なんかできなかったと思うんです。

 

いや、正直、いまだってまだまだぜんぜん修行が足りていません。

 

気を抜くと、すぐに、相手から「しあわせ」をもらいたがってしまう自分に逆戻りしてしまいます。

 

でも、基本的なスタンスは、

 

「俺のしあわせは俺が守る~~~!!!」

 

という男気(?)溢れるところに置いているのです。

 

(あはは、だめだこりゃ! 我ながら可愛くない! 我ながらモテなそう!!!)

 

(いやー、でも仕方ないです……。だってこれ、本当にほんとうなんだもの……。)

 

 

 

「しあわせ」は私たちの存在の本質としてすでに絶対的に備わっているもので、

 

それは外側の条件によって増えたり減ったりするものではないんです。

 

誰かからもらえるものだなんてもってのほかです。

 

外側の誰かや何かや出来事が与えてくれるのは、「しあわせ」なんかじゃなくて、単なる高揚感です。

 

高揚感は一時的なものです。

 

続いていかないんです。

 

続いていかないものは、ぜんぶ夢です。まぼろしです。

 

でも。

 

すべてがうつりゆく世の中にあって、ただひとつ、恒久的なものがあります。

 

それが「しあわせ」です。

 

それはいつだって、自分の中にあります。

 

いや、ほんとうは「内側」も「外側」もなく、「しあわせ」それ自体が「私」という存在を成り立たせていて、

 

だからこそ、私たちは、一瞬たりとも「しあわせ」でなかったことなんかないんですね。

 

ただ、その事実を、いまここで、“まったき事実”として感じられるかどうかというだけなんです。

 

 

 

「それ」をいつだって自分の中に感じていようと覚悟を決めるか、

 

それとも誰かや何かから「それ」をもらおうとして四苦八苦するか、

 

ぜんぶ、自分に任されているんです。

 

その気づきがあったからこそ、私はこのたびの結婚を決意できたように思うのです。

 

 

 

でもね……この「結婚筋」だって、「筋肉」の一種であるがゆえに、放っておくと衰えていくんですね。

 

一度身につけたからって「はいゴール! ぜんぶOK!」というわけにはいかない。

 

日々の生活の中で、少しずつトレーニングを積んでいかなきゃ、あっという間に元の木阿弥、

 

「で? あなたは一体いつになったら私をしあわせにしてくれるのですか?」

 

みたいな、完全に的外れ、かつ、相手に対してめちゃめちゃ失礼な態度を取るようになってしまう。

 

結婚生活は「修行」の場っていうのは、そういう意味でほんとうなんだろうな……。

 

でも、「修行」は「修行」でも、決して「苦行」じゃないですね。

 

だって、やればやるほど「楽」になっていくことはわかっているから。

 

 

 

日日是修行です。

 

筋トレ、続けていきます。

 

がんばります。

 

……押忍!