お墓参りと南無阿弥陀仏

2017年8月14日

おはようございます。小出遥子(こいではるこ)です。

今日も自分のツイッター投稿を引用します(笑)。
連続ツイートです。

今日は新潟県内を駆け巡って、父方、母方のご先祖さまのお墓参りをしてきた。両家とも浄土真宗で、お墓の前面には「南無阿弥陀仏」と彫られている。顔も知らない親戚のお墓に手を合わせて「南無阿弥陀仏」ととなえたとき、なにか、本来的な念仏の意味が腑に落ちたというか、「あ、これは」感があった。

対象を持たない「南無阿弥陀仏」。

親鸞さんも「父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず」と言っているし。もちろん、誰か、特定の対象にささげる念仏も尊いものだとは思うけれど。対象のない南無阿弥陀仏は、どこまでも広がっていく感じがした。

私がツイッターになにか投稿するときって、
だいたいいい感じに酔っぱらっているか、
カフェインでハイになっているかのどちらかなんですけれど、
(ここに来て明かされる衝撃の事実……!笑)
昨晩の私も、まあ、なかなか本質的なことを言っていますね。
(と、酒の抜けきらないアタマで思う……。)

ということで、お墓参りに行ってきました。

浄土真宗のお墓って面白くて(まあ、「面白い」というのもアレですが)
ほかの宗派だと「○○家之墓」と書かれるのが一般的なようですが、
正面に「南無阿弥陀仏」と刻まれているものが多いんですね。

昨日私がお参りしたのは、浄土真宗のお寺の墓地と、
真宗の檀家さんが多い地域の集合墓地だったので、
無数の「南無阿弥陀仏」を見たことになるのですが……。

なんかね、それが、すごくいいなあ、と思ったんです。
なんというか、お墓のパーソナル感が薄まって。

小出家、石上家、各家のご先祖さまのお墓に手を合わせて
念仏をとなえることが、そのまま「個」を超えたところにある、
「ひとつ」で「すべて」で「すべて」で「ひとつ」の
「南無阿弥陀仏」につながっていく、というか。

南無阿弥陀仏が聞こえるところに、
此岸と彼岸、個と全の区別はない、というか。

それが実感できたのが、すごくよかったなあ、と。

お墓参りって、素敵な文化ですね。

ということで、お盆っぽい投稿でした(笑)。
今日、明日と実家でのんびりして、東京に戻ります。

よい一日をお過ごしください◎

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