「安心(あんじん)」について

2015年5月25日

先日、あるお医者さんのお話会にお邪魔させてもらったのですが、そこで、

 

「“Happiness”は、仏教語だと“安心(あんじん)”ということばにあたるのではないでしょうか」

 

といったようなことをお聞きしました。

 

安心(あんじん)を広辞苑で引くと、

 

1 信仰により心を一所にとどめて不動であること。

2 弥陀の救いを信じて一心に極楽往生を願う心。

3 宗派の教えの根本眼目。

 

と出てきました。

 

お医者さんは、おそらく、1の意味で、上記のようなことをおっしゃったのだと思います。

 

「おそれ」といったものの一切から解放され、こころが安らかである状態……

 

これをもって「しあわせ」と呼ぶ、というのは、私もまったく同感です。

 

 

 

絶対的な安心(あんじん)っていうのは、

 

“どうあっても救われているんだ”

 

ということを、理屈を超えたところから確信することで得られるものだと思います。

 

最近聞いた表現では、

 

“Already in Love”

 

というのがありますが、

 

まあ、「仏」ということばを使うのなら、

 

“いつだって仏さまの救いの手のひらの上にいる”

 

というようなことになるでしょうか。

 

 

 

仏さまの救いの手のひらは超巨大です。もう、考えられないぐらいに、果てしなく大きいんです。

 

それこそ、全人類ひとりひとりが、一人一枚ずつ自分専用の布団セットを一組ずつのべたとしても、まだまだ全然余裕があるぐらいの巨大さです。

 

私たちは、たとえて言うなら、仏さまの超巨大な手のひらの上に敷かれている

 

ふっかふかでお日さまの匂いのする超高級羽毛布団にくるまって、

 

その中で、め~ちゃめちゃぐっすり眠り込んで、

 

「人生」という名の個別の夢を見ているに過ぎないんですね。

 

 

 

で。

 

仏さまは、自分の手のひらの上でぐっすり眠りこんでいる、何億、何十億という人類のひとりひとりに、

 

まったく平等に、まったく同時に、慈愛のこもったまなざしを投げかけてくださっています。

 

片時も目を離すことなく、やさしく見守ってくださっているのです。

 

 

 

そういった、絶対的に、安心・安全な環境の中にいるのにもかかわらず、

 

私たちは、ときにひどい悪夢を見て、「この世の終わり……」とばかりに、深刻そうに苦悶の表情を浮かべ、涙や鼻水まみれになりながら、「うーん、うーん」とうなされたりしているのです。

 

でも、これ、結局、そもそも、ぜんぶ夢なんですよね。

 

夢なんです。

 

 

 

「いつだって絶対的に救われている」

 

そのことを理屈を超えたところから知るきっかけは様々あるとは思いますが、

 

(人生上の)苦しみ、というのは、まあ、割とわかりやすく「目覚め」をうながしてくれるなあ、とは思います。

 

(小出の場合が、まさにそれでした。)

 

苦しみがMAXまで達したときに、人は、「辛抱たまらん!」とばかりに、布団の中でうっすらと目を開けます。

 

そのとき、うまくすれば、涙にかすんだ視界の先に、仏さまのやさしいまなざしを発見するのです。

 

「……!?」

 

びっくりして目を見開き、がばっと身体を起こした瞬間、

 

「自分」も「彼ら」も「仏」もなくなって、

 

というか、「自分」も「彼ら」も「仏」と同化して、

 

ただただ「それ」として、「いま」「ここ」に「ある」という状態になるのです。

 

究極的な「安心(あんじん)」は、この瞬間に得られるのではないでしょうか。

 

 

 

まあ、いざ「目覚めた」と言ってもね、たいていの場合は、再び布団にもぐりこんで、またあたらしく「人生」を始めてしまうのですが……。笑

 

でも、その「人生」は、以前とはまったく違ったものになっているはずです。

 

夢を夢だと知ったあとの夢からは、「深刻さ」というものが欠落してしまうんです。

 

だって夢なんだもの、深刻になっていたって仕方ない。笑

 

その代わり、「夢ならば夢なりに、いや、夢だからこそ、思いっきり楽しんでやろう」という方向に意識がシフトします。

 

「遊び」が生まれるというか。

 

「感謝」をベースに、「真剣」に「遊び」を楽しめるようになるというか。

 

そうなると、まあ、「人生」捨てたもんじゃないな、と思えるようになりますよね。

 

 

 

小出も、文章を書いたり、イベントを開いたり、まあ地道にいろいろ活動させてもらっているのですが、

 

まあ、言ってみれば、そういうのも、ぜんぶ、

 

仏さまの手のひらの上に人類と同じ数だけ延べられた布団の間をぴょんぴょんと跳ねまわって、

 

悪夢にうなされている仲間を発見したら、その枕元まで駆けて行って、彼らの耳元で、そうっと、

 

「安心していいんだよ~。それ、ぜんぶ夢だからね~。起きてしまっても大丈夫だよ~」

 

なんてことをささやいているようなものでして……。

 

あはは! こう書くと、相当うざいキャラだな、小出って! 笑

 

でも、まあ、これだって、「小出“が”」やっている限り、ぜんぶ夢なんですけどね……。

 

そう、これも、小出の夢です。(きっぱり。)

 

ふふふ。どこまでいっても夢ですね。

 

そのベースには、どんな夢を見ることだってゆるしてくれる、圧倒的な「愛」の存在があるんです。

 

それは、究極的な「救い」にほかならないんじゃないかな。

 

 

 

目覚めても、目覚めなくても、いつだって救われています。

 

どんな「人生」も、すでに、救いの中にあります。

 

だから、大丈夫です。

 

 

 

「安心していていいんだよ」