求不得苦(ぐふとくく)への処方箋

2016年10月9日

おはようございます。小出遥子です。

昨晩、ちょっと、モヤッとすることがありましてね……。
詳細をここで書くことはしませんが、
まあ、ごく簡単にまとめてしまえば、
「あの人はどうして○○してくれないのだろう?」系のモヤモヤですね。
それが私のもとにやってきましてね。

これ、すごく苦しいんですよね。
自分の失敗とか、自分の後悔とかだったら、
自分の努力次第でなんとかできるような気がするから
まだ手のほどこしようがあるように思えるんですけれど、
いかんせん、相手ありき、ですからねえ。

相手がその「○○」を自分に与えてくれない限り、
この問題はぜったいに解決しない!!!
……という思考回路に陥っちゃっているので。
なかなかね、これは、しんどいものです。

どんなに自分が「あの人は○○してくれるべき!」と思っていても、
相手がそのように動いてくれるとは限らないので。
というか、現にそのように動いてくれないから苦しいわけで。

これ、逆のパターンもまた然り、ですよね。
「あの人はどうして○○しちゃうんだろう」
「○○しないで欲しい」「○○しないべきだ!」
っていうのも同じです。

どのみち、他者が自分の思い通りにならない、
というところから発生する苦しみです。

ほんとうに、しんどいんですよね、これ。
しんどいんです。

実際、しんどかった。

でも。
そのしんどさの中で、私、ふと、思ったんですよね。

相手が自分の思い通りに動いてくれることが、
ほんとうの「解決」になるのかな、って。

というか、そもそも、それ以前に、
「他者が自分の思い通りにならない」苦しみは、
いったい、どこで発生しているのかな、って。

その答えは、やっぱり、
「いま」「ここ」にしかなかった。

勇気を出して、厳密に観察してみたら、
いまここで起きているのは、
「あの人はどうして○○してくれないんだろう」という
ひとつの「思い」が湧き上がっている。終わり。
……ほんとうに、ただ、それだけであって、
それ以上でも以下でもなかったんです。

つまり、「自分の思い通りに動いてくれない相手」や
「自分の思い通りにならない状況」は、
いまここにふわっと湧き上がった
ひとつのアイディアの中にしか存在せず、
ほんとうはどこにもそのようなものはなかった。

ぜんぶ、いまここに立ちあらわれた
「ひとつの思い」「ひとつの考え」
「ひとつのアイディア」「ひとつのイメージ」でしかなかった。

どこからともなくやってきた
「思い」「考え」「アイディア」「イメージ」(ぜんぶ一緒か)は、
かならず、どこへともなく去っていきます。
かならず、です。

ほんとうに、ただ、それだけなんだなあ、って。
それ以上の「救い」は、ないなあ、って。

その理解が、「ストン!」とおなかに落ちると同時に、
「ストン!」と眠りに落ちてしまいました(笑)。
ゆるんだんでしょうね、こころも、からだも。

で、朝に目を覚ましたら、
まったくあたらしい一日がはじまっていて……。

事実というのは、ほんとうに、
シンプルすぎるほどにシンプルなものなのかもしれません。

仏教の言う「求不得苦(ぐふとくく)」
(=求めるものが与えられないという苦)への処方箋は、
「如実知見(にょじつちけん)」の四文字に尽きます。

ただ、起こっていることを、ありのままに、見る。
その勇気さえ持てたら、世界は……。

 

お読みくださってありがとうございました。

よい一日をお過ごしください◎