弟子一人ももたずそうろう

2016年10月10日

おはようございます。小出遥子です。

浄土真宗の宗祖・親鸞さんが、こんなことばを遺されています。

「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」

この気持ちが、ほんとうに、
寸分の違いもなくわかるような気がする最近の私です……。

あと、ライターの石井ゆかりさんが、
ツイッターのプロフィール欄に
「先生って呼ばないで下さい。禁止。」
とわざわざ明記されているのが、
私は以前からずっと気になっていたのですが、

いやあ、その気持ち、ものすごくわかるよ、ゆかりさん……。

と、思わずタメ口で伝えたくなってしまう私がいます。

いや、ほんとうなんですよ。
こんな私でも、「先生」扱いされることがありましてね。
「教えてください! 先生!」みたいな態度で迫ってこられることが、
ごく稀にではありますが、やっぱり、あるんですよ。

そうすると、こちらとしては、戸惑うしかなくて……。

だって、私、「先生」じゃないから。

私はなにも知らないし、だから誰にもなにも教えられないんです。

アドバイスをしたとしても、
それは単なる「個人的な一意見」でしかなくて、
「これが唯一の正解だ」というところから
誰かになにかを伝えたことはありません。

こんなBlogを毎日更新しているものだから
「小出はきっとなにかを知っているのだろう」
と思われても、まあ、仕方がないかな、とは思うのですが……。

でもねえ……。

先日掲載した松本紹圭さんとの対話の中でも出てきますけれど、
私には、「いのち」のことが、さっぱりわからないんです。
「この世の真実」なんて、もってのほかです。

私は、ほんとうに、なにも、知りません。

知らないし、わからないからこそ、Templeをやっているんです。

わからないからこそ、みんなで語ってみようよ、と。
探るという意識もないままに、ただただ、語ってみようよ、と。

Templeだけじゃない。
全般にわたって、そういうスタンスで生きています。

だから、私には「仲間」はいても「弟子」はいません。
「仲間」はそのまま「師匠」のような存在だし、
その意味で、私にはたくさんの「先生」がいるけれど、
「先生! 教えてください!」という一方的な関係というよりは、
「互いに学び合って、ともにいのちを生きていきましょう」
という、双方向のフラットな環流をたのしんでいる感じです。

そっちの方が、軽やかでいられるし、
なによりも「いのち」に沿っていると思うからです。

イベントとしてのTempleも、もちろん、そのスタンスでやっています。
あれは「対話の集い」であって、「学び合いの場」です。
なので「なにか明確な知識を伝えて欲しい!」と思って参加される方には
完全に的外れなイベントになってしまうことを、あらかじめお伝えしておきます。

(ちなみに次回は10月24日(月)の夜に開催します。詳しくはコチラ

ということで、

「小出遥子は弟子一人ももたずそうろう」だし、
「小出遥子を先生って呼ばないで下さい。禁止。」

なんです。

親鸞さんや石井ゆかりさんのような大物と
小出遥子を並べるな~~~!!!
とかって怒られちゃうかな(笑)。

でも、本気でそう思っているし、
「いのち」に誠実であればあるほど、そういう風にしか生きられないんです。
ごめんなさい。

 

お読みくださってありがとうございました。

よい一日をお過ごしください◎