ゆるされている。ゆるされて「ある」。

2015年5月31日

生命(いのち)は

吉野弘

 

生命は

自分自身だけでは完結できないように

つくられているらしい

花も

めしべとおしべが揃っているだけでは

不充分で

虫や風が訪れて

めしべとおしべを仲立ちする

生命は

その中に欠如を抱き

それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分

他者の総和

 

しかし

互いに

欠如を満たすなどとは

知りもせず

知らされもせず

ばらまかれている者同士

無関心でいられる間柄

ときに

うとましく思うことさえも許されている間柄

そのように

世界がゆるやかに構成されているのは

なぜ?

 

花が咲いている

すぐ近くまで

虻の姿をした他者が

光をまとって飛んできている

 

私も あるとき

誰かのための虻だったろう

 

あなたも あるとき

私のための風だったかもしれない

 

(『吉野弘詩集』ハルキ文庫より)

 

 

 

ただただ、もう、

 

ゆるされている

 

ゆるされて「ある」

 

そこに尽きるのだろうな、と。

 

 

 

もう、それだけだ。

 

それだけで、「愛」だ。

 

それだけが、「愛」だ。

 

 

 

私たちは、

 

どこにいたって、

 

誰といたって、

 

なにをしていたって、

 

どんな感情を抱いていたって、

 

どんな振る舞いをしていたって、

 

いつだってこのまま、

 

ほんとうにこのまま、

 

まるごとこのまま、

 

ゆるされている、

 

ゆるされて「ある」、

 

愛の中に「ある」。

 

 

 

逃れられません。

 

完全に、降参です。

 

 

 

このままが、

 

このままで、

 

まったくもってこのままで、

 

まるごと、

 

ゆるされていることに、

 

ゆるされて「ある」ことに、

 

いま、この瞬間も「愛」の中に「ある」ことに、

 

圧倒的な「愛」の中に「ある」ことに、

 

ぜったいにことばにはならないところから、

 

ことばにはならない、

 

「愛」そのものとしての、

 

「ありがとう」を……

 

 

 

ありがとう