Templeのこと。

2015年6月3日

目の前で起こっていることは、いつだって、どんなことだって、ただただ、完璧なのだと思います。

 

それを「良い」だの「悪い」だの言って騒いでいるのは、私たち人間だけで。

 

一切の「こうあるべき!」「あああるべき!」を手放して、ニュートラルな目で眺めてみれば、

 

世界は、なにひとつ足す必要も、引く必要もなく、そのままで、完全に、完成されているのだと。

 

そんなことを思うのです。

 

 

 

今年の1月より、1~2か月に1回ぐらいのペースで、お寺という場所をお借りして、Templeというイベントを主催させてもらっています。

 

「ほんとう」に触れて“自由”を生きよう

 

というのをテーマとしたイベントなのですが、

 

この「ほんとう」っていうのは、

 

「ほんとうのこと」VS「ほんとうじゃないこと」という、

 

二元的な意味での「ほんとう」じゃなくて、

 

そういった分離の世界を遥かに超えて、すべてひっくるめたところにただ「ある」(なくて「ある」)ものを、

 

便宜上(?)「ほんとう」と呼んでいるにすぎず……。

 

つまり、

 

「○○したら、△△という結果を得られます」みたいな公式が、

 

まったくもって成立しないところを探っていこうというイベントでして。

 

なかなかハードなことをやろうとしているんですよね……。

 

ハードコアというか、なんというか……。

 

参加者の方々には、毎度、「実験」にお付き合いいただいているような感じです。

 

ふにゃふにゃなイベントで申し訳ないことです……と思うと同時に、

 

いや、そもそもこのテーマの性質上、パキッとしたイベントにはなりようがないだろう、

 

「こうだから、こうなんです! こう決まっているんです!」という感じで、

 

無理やりパキパキ押し進めてしまったら、逆にまずいんじゃないか、

 

だから、これはこれでいいのだ、

 

と、どこか開き直っている自分もいて。

 

 

 

でも、開き直れたのは、ここ最近のことなんです。

 

前回までは、やっぱり、どうしても「こうあるべき!」が手放せなかった。

 

自分の中に絶対的な「正解」があって、どうにかこうにか、Templeという場をそっちの方向に持って行こうとしていた。

 

でも、それって本末転倒ですよね。

 

二元を超えたところにある「ほんとう」を探っていくためのイベントなのに、

 

主宰である私自身が、「正解」と「不正解」とを、

 

くっきりはっきり分けてしまっていたんです。

 

いつの間にやら、そんな罠にばっちりはまってしまっていた。

 

恐ろしい話です。

 

主宰失格ですね。

 

 

 

昨日も、ひっそりと、Temple vol.3を開催させていただいていたのですが、

 

今回、ようやく、「こうあるべき!」からフリーなところから、

 

場を眺めてみるということができたような気がしています。

 

もちろん、その場を安心・安全なものに保つための配慮は、

 

主催側の責任として、出来る限りさせていただきましたし、

 

これからもその点への努力は怠らないつもりですが、

 

そこさえ押さえたのなら、あとはもう、ただ、その場で起こることを見つめるだけ、

 

私にできるのは、それだけだなあ……と。

 

結果、いままでで一番、「このイベントを開いてよかったな」と素直に思える夜になりました。

 

「この世界に、Templeという場が生まれてよかったね」と、

 

まあ、自分で開いておいてばかみたいですけど(笑)しみじみと感じていました。

 

これもひとえにご参加いただいたみなさまのおかげですが、

 

(本当にありがとうございました。)

 

自分「が」開いている、という感覚のないところに立てたからこそ、そんな風に思えた部分もあるのかもしれません。

 

 

 

まあ、もちろん、これからも、都度、工夫は重ねていきますが、

 

まあ、あんまり力まず、「こうあるべき!」をいい感じに手放したところから、

 

瞬間瞬間に立ち現れるすべてを、あたたかく見届けるような気持ちで、

 

愛をもって、ゆるゆると続けていけたらいいな、と思います。

 

 

 

今後とも、Templeを、どうぞよろしくお願いいたします。

 

機会があれば、ぜひ遊びにいらしてくださいね。

 

まったくあたらしいタイプのイベントだということだけは、自信を持って言えますので。笑