全体主義と集団主義

2015年6月4日

「すべてはひとつ」

 

このブログに、もしテーマがあるとしたら、たぶん、ここに尽きるのだと思うのですが、

 

これって、ことばだけでとると、実はすごく危険なんですよね。

 

全体主義的な……「御国のために!」の思想に利用されやすいというか……。

 

これ、実はまったく違ったものなんですけどね。

 

そのことばと対面したときに自分の中に生じる微細な感覚を追っていけば、

 

真逆のニュアンスに気づけるはずなのですが、

 

どうしたって「全体」のムードに流されてしまいがちなのが人間という生き物ですからね……。

 

とても、難しいところだとは思います。

 

いや、簡単なんですけれど、その簡単なところが難しくなってしまうのが、もはや病的というか……。

 

時代のせいなんかにはしたくないのですが……。

 

「みんな、もっと自分の感覚を信じてもいいんだよ」

 

もっと言えば、

 

「ほんとうに心地良い方、自分が自然でいられる方を選んでいいんだよ」

 

と、小さいながらも声を出し続けることはやめたくないな、と思っています。

 

 

 

「自然」かどうかっていうのは、大きな判断基準になりますね。

 

そこに無理がないか。抵抗が生じないか。ひっかかりを感じないか。

 

自分の範囲が心地良く、やわらかく広がっていく感じがあるか。おなかのあたりにどっしりとしたあたたかいものを感じるか。

 

「不自然」なものに触れると、人間には、これとは真逆の反応があらわれます。

 

抵抗が生じて、収縮して、固くなって、なにか熱いものを感じても一部だけ……。

 

そう、気をつけなきゃいけないのは、「不自然」なものでも、人を熱くさせることはあるということで。

 

でも、そこで起こっているのは脳の興奮です。

 

脳だけが興奮しているとき、身体は冷えています。

 

おなかのあたりが不在な感じがするはずです。

 

その場合、やはり、自分にとって「不自然」なものだと判断するのが良いのではないでしょうか。

 

 

 

答えはぜんぶ自分が知っています。

 

身体はいつだって正直です。

 

自分の気持ちがわからなくなったら、身体の反応(外側も、内側も)を素直に見つめてみるといいですね。

 

 

 

最近、「集団主義」ということばを聞きました。

 

ひとりひとりが持って生まれた個性を存分に発揮して存在することが可能な集団のあり方、を指すことばなのだそうです。

 

まあ、「主義」とか言ってしまうと、どうしても身構えてしまう部分はあるのですが、

 

なるほどな、なんかいいな、と思いました。

 

というか、これこそが、「自然」だよな、と。

 

 

 

表面的なことばにまどわされないように、いつだって自分の感覚を大事にしていきたいですね。

 

私も、肝に銘じます。