「接触」を楽しむこと。

2015年6月15日

「小出さんの文章を読んで、大きな気づきがありました。ほんとうに、“自分”なんかいなかったんですね!」

 

……といったようなメッセージを、ごくごくたまにではありますが、いただくことがあります。

 

これは本当にうれしい瞬間です。

 

こころからの祝福に包まれます。

 

 

 

でも、これって、決して、私の書く文章に魔法があるとか、そういう話じゃないんですよね。

 

私は、ただ、「いま」「ここ」で見えている景色をそのまま書いているだけで

 

(しかも「見ている」“私”も、「書いている」“私”も、実際にはどこにも存在しない、という……)

 

まあ、「必要な人に、この“気づき”が訪れますように……」という願いは込めているかもしれませんが、

 

世の中に数多いらっしゃる素晴らしいティーチャーたちのように、

 

有効なメソッドを確立しているわけでもなく、

 

的確で冷静なことばをもって個々人に必要な情報を与えていくスキルも持ち合わせておらず、

 

つまり、ゴール(とも呼べないのですけれど。ほんとうは。うーん、ややこしいな!)の方向は指差せても、そこに至るまでの道筋は示せない……ということで、

 

この部分、本人としても、なんとももどかしい思いを抱えつつ、毎朝PCに向かっていて。

 

(まあ、「もどかしい」思いも、たいていは一瞬で忘れてしまうんですけどね。笑)

 

 

 

だから、本当に、私の書いたものは、その方にとっての最後の押し出しにはなったかもしれないけれど、

 

でも、決して、私が「押し出した」とか、「気づかせた」とか、そういうことではないのですよね。

 

いや、謙遜でもなんでもなく、ものすごく淡々と、そんな風に思うのです。

 

準備が完全に整った方が、たまたまその瞬間に、このブログを読んでくださっていただけ。

 

本当に、ただ、それだけなのだろうな、と。

 

それだけだけど、嬉しいな。ありがたいな、と。

 

 

 

……そうは言っても、結果から見れば、

 

私の書いたものがなければ、「押し出し」もなかった、ということで、

 

(これも、そういう風にしか言えない、というだけですが……)

 

「私にはなにもできない」「手助けもできない」

 

からと言って、

 

「書くのやーめた!」

 

ということにはならないんですね。笑

 

いや、ほんと、気取った言い方に聴こえるかもしれないけれど、

 

ただただ、

 

「書くことに決まっている」「だから書く」

 

という感じかなあ……。

 

これ、運命論、ともまた違って……

 

なんだろうな、

 

瞬間瞬間の「接触」を楽しんでいる、という感じかな……。

 

読んでくれた人の中で「気づき」が起こっても起こらなくても、

 

書かないことには「接触」も起こりようがないのだし、

 

そもそも「書きたい」という気持ちがここにあるのだから、

 

「ただただ書く」「書くしかない」「ただし肩の力はできるだけ抜いてね」(たまに入っちゃうけどね!)

 

という感じかなあ……。

 

 

 

まあ、ここも「おまかせ」ってやつですね。

 

私がなにかを書いても書かなくても、世界はいつだって、完全に完璧です。

 

いや、選んだ方に「完全」「完璧」がある、と言った方が正確かな。

 

これはね、本当に、そうなんですよね。

 

 

 

ということで、今日も書きました。笑

 

お読みくださって、ありがとうございました。