菩薩即如来、如来即菩薩

2017年9月16日

おはようございます。小出遥子(こいではるこ)です。

昨日の記事を更新したら、直後から、10月4日(水)の
Temple@神谷町光明寺へのお申し込みを相次いでいただきまして!

「Temple、広がるといいですね!」「応援しています!」と
あたたかいおことばをかけてくださった方もいらっしゃって、
ほんとうに感激しました。ありがとうございます!

おかげさまで、あと2~3名で【満員御礼】となります。
ご興味ございます方、ぜひお早目にお申し込みくださいませ。

さて、今日も、ツイッター投稿の引用からはじめたいと思います。

一般的には、如来になるために修行している存在が菩薩だと考えられているようだけど、どうなのかな。如来がこの世で活動するために人の姿をとったものを菩薩だと考えることはできないかな。つまり菩薩即如来、如来即菩薩ということ。こっちの方がしっくりくる。

これね、ずっと前から折にふれて考えていたことで。

菩薩というのは「如来になるべき存在」という風に、
いろんなところで解説されています。

つまり「菩薩は、まだ、如来になっていない」ということで。
もっと直接的に言ってしまえば「まだ、さとっていない」ということで。

でも、これ、ほんとうかな? とずっと思っていたんですよ。

だって、観音さまとか、弥勒さまとかの仏像を見ても、
「ど~~~見ても、さとっていらっしゃいますよね……!?」と思ってしまうほど、
穏やかでやさしいお顔をされているじゃないですか。

観音さま、弥勒さまがさとっていないなんて、ぜったいに嘘だ!
完全にさとってはいるけれど、
なんらかの事情で、こちらの世界にとどまっているだけに違いない!

……というのは「仏像女子」だったあの頃から一貫して思っていたことなんですけれど、
最近になって、ようやく、それを、もう少し論理的(?)に説明できるようになりました。

結論から言えば、やっぱり、菩薩は「さとって」います。
菩薩は、そのまま、如来でもあります。

でも、如来、というのは、もはや「真理そのもの」なので、
無色透明、無味無臭な存在(存在、でもないのですが)なんです。

如来のままでは、この世においてなんらかの活動をすることはできない。
この世は物質世界なので、ここでなにかをする際には、
物質的な姿かたちが必要だからです。

ということで、如来が、人間、その他のかたちをとったものが菩薩、なんですね。

菩薩は、すべて、如来の化身なんですよ。

そして、菩薩は、かならず、人間、その他のかたちをとっています。

つまり、私たち人間は、みな、如来の化身だ、ということです。

あ、論理が飛躍した!?(笑)
いや、でもね、これは、「ほんとうのこと」だと実感しています。

私たち、みんな菩薩で、そのまま如来なんです。
私たちは、そのまま、仏さまでもあるんですよ。

「うそ~!? そんなことない!!!」って思う人は、
ただ、その事実を忘れてしまっているだけです。

忘れてしまっているだけなら、思い出すだけ、ですね。

こういうのは、たぶん、大乗仏教的な考え方なんだと思います。
テーラワーダとかだとまた話は変わってくると思うのですが、
少なくとも、私個人の実感としては、

「菩薩→如来」ではなくて、「如来→菩薩」
あるいは「如来(双方向矢印)菩薩」

というのが、しっくりくるお話なんです。

仏さまの世界に階級はなくて、みな等しく尊い存在です。
未完成すら完成、不完全すら完全、という世界。

自分自身を、そんな風にとらえられるようになったそのとき、
どこまでも広がっているのが「平和」というものなのでしょう。

仏教の真ん中にあるのは、そういう思想なんじゃないのかな。

まあ、あくまで、私個人の考え、ですけれどね。

よい一日をお過ごしください◎

次回「遥子の部屋」は10月6日(金)20時からです。

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