どこにだって行けるし、なんだってできる

2015年6月17日

昨晩は、来週頭に高知へと引っ越しをする大切な友人との、東京最後の会合でした。

 

彼女はある分野のお仕事のプロなのですが、今回の高知行きは「自分が理想とする仕事の進め方ができるところを見つけたから」という理由で決意されたものでした。

 

東北出身の彼女にとって、高知は、縁もゆかりもない土地です。

 

それでも、「理想を実現したい」という想いひとつで決めてしまいました。

 

今年の春に前職を辞した彼女は、そこからすぐに、ほんの先週まで、スペインに短期留学をしていました。

 

スペイン語はずっと勉強していたけれど、日常生活を問題なく送れる程度にペラペラか? と言えば、そこもかなりあやふやな状態で……

 

それでも彼女は「行ってみたい」という気持ちひとつで、数か月間、かの地で生活をして、戻ってきました。

 

ずっとやりたかったことを思いきってやってしまって、あとは引っ越しの準備を整えて、次の地に向けて張り切って歩んでいくだけ、というタイミングでの昨日の会合でした。

 

もともと瞳の輝きが強い子ではありましたが、昨日は、もう、ほとんどダイヤモンド並みの光を両目から放っていて、圧倒されてしまいました。

 

彼女という存在を、しみじみと頼もしく感じました。

 

「なんかもう、ここまできたら恐いものなしだね! どこにだって行けるし、なんだってできるね!」

 

そう伝えたら、彼女は笑って、「本当ですね」と頷きました。

 

「前はぜんぜん、こんなことできなかったんですけどね。慎重すぎて、タイミングを逃すタイプだったんですけど。でも、私、変わりましたね。自信がつきました。本当に、どこにだって行けるし、なんだってできるんだと思います」

 

 

 

「どこにだって行けるし、なんだってできる」

 

そのことを、こころの底から確信して、実際に一歩を踏み出すとき、

 

人は「自由」ということばのほんとうの意味に出会うのだと思います。

 

 

 

彼女は、自分でも言っていたように、元からものすごい行動派だったというわけではないんです。

 

本人が自称するところには、「単なる、東北の、小心者の田舎っぺ」笑

 

ただ、彼女は、自分の中の「こわい」と「やりたい」を引き比べて、その都度、「やりたい」の方を選び取って、思い切って一歩ずつ前進してきたんです。

 

その先に、「どこにだって行けるし、なんだってできる」と胸を張って言い切れる、いまの彼女の姿があるのでした。

 

 

 

しみじみと思いました。

 

「自信がある」って、もう、それだけで強いな、と。

 

と同時に、こんな風にも思ったのです。

 

「自信があろうがなかろうが、私たちは、本当は、いつだって、どこにだって行けるし、なんだってできるんだよな……」

 

と。

 

 

 

そうなんです。

 

私たちは、本当はいつだって「自由」なんです。

 

私たちを縛るものなんて、外側のどこにも存在しないんです。

 

自分を縛っているのは、世界でただひとり、自分だけなんです。

 

自分さえそれを許可できたら、いまこの瞬間にも「どこにだって行けるし、なんだってできる」の境地を味わうことができるんです。

 

 

 

……まあ、理屈ではそうなんですけど。笑

 

これは、結局、実際にそうやって動いた先に言えることですね。

 

実際に動かなきゃ、それが真実であることを確信することもできない。

 

やっぱり、動くしかないな。

 

 

 

「おそれ」なんて、ぜんぶ幻想なのかもしれない。

 

「やりたい」のベースにある「愛」を信じて、思い切って飛び出した先に、

 

かつてないほどの「自由」が開けているのでしょう。

 

私は、それを、味わいたいです。

 

 

 

 

 

私も、ここで、がんばるよ。

 

高知、遊びに行くからね。