「生きていて、ごめんなさい」

2017年9月19日

おはようございます。小出遥子(こいではるこ)です。

お寺にお参りして、ご本尊に手を合わせているとき、
時折、どうしようもなく、

「ごめんなさい」

と、懺悔のことばがこぼれることがあります。

これ、私の場合、お寺限定なんです。
神社では、こういうことは起こらない。

その「ごめんなさい」というのは、
ものすごく深いところからの「ごめんなさい」で……。

言ってしまえば、

「生きていて、ごめんなさい」

というようなものなんですけれど。

不思議ですね。
普段はそんなことまったく思わないままに生活しているのに、
仏さまに手を合わせていると、急に出てくるんです。

「ごめんなさい」
「生きていて、ごめんなさい」

って。

これは、もしかしたら、私個人に限らず、
人類が共通して持っている根深い罪の意識なのかもしれないな、
と思っています。

で。

「ごめんなさい」が出たそのあとには、
かならず、
「ありがとうございます」もセットで出てくるんですよね。

そして、なにか、「ぽかん」とした気分になる。

私は、この「ぽかん」を、恩寵だと受け取っています。

「ぽかん」としているとき、私は、
なにもしていないし、なにも考えていない。

それでも、生きている。
どうしようもなく、生かされている。

なにもせず、なにも考えずとも、生かされている。

これ以上にありがたいことなんか、ないなあ、って。

これこそが仏の慈悲、慈愛のパワーなのかな、と思います。

「ごめんなさい」って言えた瞬間に、
私たち、すでにゆるされているんですよね。

というより、ゆるされているからこそ、「ごめんなさい」が言える。

完全、完璧にゆるされて存在していることをどこかで知っているからこそ、
安心して「生きていて、ごめんなさい」と言える。

言える、ということは、ゆるされている、ということで、
だからこそ、ただ、「ありがとう」に包まれて……。

悩んだりもがいたりすることすら、
恩寵の中で起こっていることなのかもしれない。

私たち、ほんとうはすべて知っているのだと思います。
知っていて、「人間」をやり切りたいだけなのだと思う。

すべて、完全、完璧ですね。

……そんなことを、昨日の夜、夫と話していました。

今日も熱くなりそうですね。

よい一日をお過ごしください◎

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