「不食」や「超少食」をはじめたいなら

2015年6月19日

ある俳優さんが30日間の「不食」に成功した、とかで、最近静かに(?)話題ですね。

 

でも、見ていると、どうも「断食」と勘違いされて報道されているパターンが多い気がする……。

 

(まあ、そんなに多くを詳細に見ているわけじゃないですが。)

 

そのたび、

 

「不食と断食はぜんぜん別物なのにな~。

 

不食はしあわせのニュアンス、断食は苦しみのニュアンスが強いのに。

 

でも、まあ、区別がつかなくて当然だよな~」

 

と思っています。

 

 

 

私は、ほとんど一日一食、たまにまったく食べない日があるぐらいの人間なので、

 

まったくの「不食」で生きていくことも、実はそんなに難しいことじゃないんだろうな、と思っていますが、

 

(私は、食事は、コミュニケーションツールとしてとらえています。

 

おいしいものを食べながら誰かとお話をするのって、楽しいですよね。リラックスするし。

 

つまり、ほとんど純粋な「楽しみ」として食事を見ていますね。

 

逆に言えば、「栄養とらなきゃ」とか、そういう観点では食事を見ていない。

 

必要な栄養素は、食事以外からも十分にとれると思っています。

 

あんまりこういう話すると、「ぎゃー、オカルト!」とか言われそうなので・笑

 

この辺で止めておきますが……。)

 

でも、世間的には「しっかり食べること」=「健康」みたいな考えが主流だし、

 

それを信じている方々には、「不食」とか「超少食」で生きている人の存在自体が、「信じられない!」のでしょうし、

 

「なんのためにそんなに苦しいことを……」という反応をとられても、仕方のない部分はあるよな、と。

 

 

 

そうそう、これも誤解されがちなんですが、「不食」とか「超少食」とかって、「○○のために!」とかいうのとは、まったく別次元のお話なんですよね。

 

いや、確かに、そういった生活のメリットって、たくさんあると思うんです。

 

第一に、食事に時間がとられないから、他の好きなことを思いっきりやれる。

 

消化吸収に使うエネルギーが余るから、頭も冴えるし、全体的に活動的になる。

 

食費がかからない。

 

睡眠時間が短くて平気になる。

 

若返る。

 

……まあ、最後のはよくわかりませんが、私もこんな生活を送るようになってから、確かに前より健康的に、そして活動的になったことは事実ですね。

 

でも、これも「結果的に」というお話で、最初からそれらを目指してやっていたわけじゃないんですよね。

 

気が付いたら、あんまり食べなくても平気になっていて、

 

気が付いたら、健康的に、さらに活動的な小出遥子になっていた、という感じで。

 

というか、逆に、それらを「目指して」いたら、こんな生活は成り立っていなかったと思う。

 

だって、「不食」とか「超少食」とかって、ゴールがないんです。

 

いや、「不食」とか「超少食」とかのプロセス、それ自体がゴール、というべきかな。

 

直線型、ではなく、循環型、というべきか。

 

それ自体で完結する、というか。

 

 

 

この、「気が付いたらあんまり食べなくても平気になっていた」という部分ですが、

 

これは、たぶん、私が「しあわせ」だからだと思います。

 

これ、外側の条件による「しあわせ」じゃないですよ。

 

誰もが、その本質として備えている「しあわせ」のことです。

 

わかりやすく言えば、

 

「私はいつもしあわせです」

 

「なぜなら、私自体がしあわせでできているから」

 

という感じですかね。

 

(こんなこと書くと、また「ゆるふわ」とかって思われそうだけど。笑)

 

常に「しあわせ」“で”ある自分に気づいているというか、

 

「しあわせ」はいつだって「いま」「ここ」に、というか、

 

「いま」「ここ」自体が「しあわせ」というか……。

 

だから、自分は、いつもそのことに気づいていれば良いだけ、

 

「取りに行く」タイプのしあわせは必要ないよ、

 

(というか、「取りに行った」先にあるのは、ほんとうの「しあわせ」ではないよ)

 

という感じかなあ。

 

 

 

人は、たぶん、「しあわせ」に満たされる感覚を求めて、なにかを食べるんだと思うんです。

 

なにかを食べると、確かに、一瞬、気分は高揚しますものね。

 

それはまったく悪いことじゃないです。

 

でも、その行動と、自分の求める「しあわせ」とは、実はまったく結びついてはいないんですね。

 

(外側のものに与えられるなにかは、「しあわせ」ではなく、「高揚感」である場合が多いです。)

 

「しあわせ」は外側になくて、いつだって「いま」「ここ」に「ある」ものだから。

 

それに気づけば、不必要になにかを身体に摂りいれたい、という気持ちもおさまるんですね。

 

 

 

「不食」とか「超少食」とかの人たちは、口を揃えて言います。

 

「私は、とてもしあわせです」

 

でも、ここも勘違いされがちな点だと思うのですが、

 

彼らは、そういう食生活(とも呼べないか、もはや)をしているから「しあわせ」なんじゃなくて、

 

そもそも「しあわせ」だから、

 

「いま」「ここ」の「自分」の中に、というか「自分」そのものが「しあわせ」であると、理屈でない部分で知っているから、

 

「不食」や「超少食」が可能になっているのだと思います。

 

 

 

あの俳優さんの報道で、たぶん「不食」にもものすごく注目が集まって、

 

「私もはじめてみよう!」とか、そういう風に思う方も大勢いると思うのですが、

 

「若返りたいから」とか「健康になりたいから」とか、なんらかの「目的」の存在を理由としてはじめようと思われているなら、要注意ですよ、と。

 

この生活の先に「しあわせ」があると思っていたとしたら、「やめといた方がいいですよ」と言わざるを得ないというか……。

 

そのメンタリティーでこの生活をはじめると、たぶん、もっと「なにかが足りない」感覚を強めることになってしまうだけだと思う。

 

それなら、先に、「いま」「ここ」にある「しあわせ」に気づいちゃった方が早いと思います。

 

究極的な「気づき」はなくとも、少なくとも「しあわせ」の在り処を知った上でなにかを始めないと、

 

多分、苦しみは前より増えるばかり、という結果になってしまうんじゃないかなあ、と。

 

まあ、「やりながら気づく」ことも大いにあるとは思いますけれど……

 

だから、「好きなことするのが一番です」と、結局いつものところに着地してしまうわけですが。笑

 

 

 

まあ、なにかの参考になれば。

 

今日も、機嫌良く生きていきましょう。