「それ」が「起きている」。ただ、それだけ。

2015年6月20日

毎朝毎朝早起きをして、

 

雨の日も風の日も体調が悪い日も機嫌が悪い日も疲労困憊な日も、

 

PCに向かって、ブログを書いて、アップして。

 

まあ、こんなことを、一年以上、続けています。

 

 

 

「あなたは一体なにをしたいのですか?」

 

「なにをしたくてそんなことをしているのですか?」

 

と、まあ、そりゃあ思われても仕方ないですよね。

 

だって自分でもそう思いますもん。笑

 

「私はいったいなにがしたいんだ?」

 

と。

 

 

 

前は、自分の内外から投げかけられるこんな質問に対して、

 

「共有したいから」

 

と答えていました。

 

「ここ」には、どうしてもことばにすることのできない「ある境地」があって、

 

でもそれは「探し求める」とか「辿り着く」とかそういう類のものではなくて、

 

ただ「いま」「ここ」に「在る」、なくてあるものなのですが、

 

それを、

 

ぜったいに筆が追い付くことはないとわかりつつも、

 

「そのまんま」伝えることなんか不可能だとは承知しつつも、

 

それでも、ただただ「共有したい」。

 

それだけ。

 

シンプル。

 

「共有したい」。だから「書く」。

 

それだけを「動機」として、毎日PCに向かっていたんです。

 

 

 

でも……

 

ごめんなさい。

 

それ、ぜんぶ後付けでした。

 

 

 

いや、「後付け」とか言うと、またことばが強すぎるのですが、

 

でも、正直、いまは、「共有したい」という気持ちから動いているわけじゃないです。

 

じゃあ、なんのために? なにを動機として? と聞かれたら、

 

「動機なんてなにもないです」

 

と答えるほかなく……。

 

いや、ものすごく正確に言えば、

 

「動機っぽいものはあるけれど、あるように見えるけれど、それはほんとうの意味での動機ではないです」

 

ということになりますが、

 

はい、ごめんなさい、まったく意味がわからないですよね。笑

 

 

 

いまの状況をそのまま表現しようとすると、

 

「小出遥子」というあらわれにおいて、「書く」ということが起こっている。

 

それだけ……なんですよね。

 

それ以外に言いようがないというか。

 

そこに「私」の意志は一切存在せず、

 

通常の意味においての因果関係なんてものもまったく成立せず、

 

ただただ、「私」において、「書く」ということが起きている。

 

いま、起きている。

 

そんな感じなんですよね……。

 

 

 

「共有したい」ということばは、そもそも、

 

なんらかの情報を発信する人(私)と、それを受け取る人(あなた)、

 

そのふたつの存在を想定した上で成り立っていますよね。

 

でも、「いま」「ここ」には、

 

なにかを伝える「私」も、それを受け取る「あなた」も、

 

まったくもって、存在しないんです。

 

「いま」「ここ」には、ただ「これ」があって、「これ」以外には存在しなくて、

 

「いま」「ここ」においては、ありとあらゆることが起こっているけれど、

 

(正確には、起こっているように見えるけれど、)

 

それを起こしている人も、それを受け取る人も、ほんとうはどこにも存在しておらず、

 

ただただそれが起きているだけ、

 

という感じでしょうか……。

 

 

 

ごめんなさい。やっぱりうまく言えないけれど……。

 

でも、そんな感じです。

 

まあ、この「うまく言えなくてごめんなさい」っていうのも、

 

ただ起こっていること、なわけで。笑

 

こうなってくると、どうにもこうにも逃れられないというか、

 

もう、降参です、というか……。

 

そんな感じ。

 

それ以外、ないです。

 

 

 

これからも「書く」ということが「小出遥子」において起こり続けるかは謎ですが、

 

でも、それが起こり続ける限り、「小出遥子」は、書き続けます。

 

どうぞよろしくお願いいたします。