「すべては完璧」なのに、どうして「なにか」をしてしまうのか。

2015年6月27日

「ぜんぶ、このままで、完全に、完璧なんです」

 

「だから安心していていいんです」

 

……なんてことを言いつつ、私も日々忙しく「なにか」をしています。

 

毎日ブログを書いてみたり、イベントを開いてみたり、仲間と「今後」の計画を練ってみたり。

 

 

 

この点にツッコミをいれられたら……

 

そう、たとえば、

 

「“このまま”でいいとか言う割には、あんた、いっつもなにかしてるじゃん。

 

“このまま”を認めていないから、なにかをしているんじゃないの? 矛盾だ!!!」

 

なんてことを言われたら……

 

実は、少し前までは、

 

「た、たしかに……そう……かも……しれないですね……(小声)」

 

と、つぶやいて、自信なさげにうつむいたきり、すっかり黙り込んでしまうような自分がいたんです。

 

「うーん……。私は、いったい、なにをしているんだろう?」

 

「矛盾に引き裂かれて、我が身が真っ二つに割れそうだ!」と。

 

自分の中で、その部分の整理がまったくついていなかったんです。

 

 

 

でも、最近では、自信を持って、笑って言えるようになりました。

 

「“このままですべてOK”だからこそ、いろんなことをしているんですよ」

 

「ここに一切の矛盾はないんです」と。

 

 

 

ほんとうに、「このままですべてOK」なんです。

 

なにかを足したり、なにかを引いたり、掛けたり、割ったり、

 

そんなこと一切する必要もなく、このままで、すべては、完全に、完璧です。

 

でも、人間、どうしてもなにかしらの行動をとってしまいます。

 

なにかを足したり、なにかを引いたりする必要なんか一切ないと知りつつ、

 

それでも動いてしまうのが、人間というものの性なんです。

 

だって人間は「動」物だもの。

 

生きている限り、なにかをし続けてしまう、行動し続けてしまうのは仕方のないこと。

 

 

 

でも。

 

でも、です。

 

それでも、「大丈夫」なんです。

 

人間が「動いた」ところで、すべての「完全さ」「完璧さ」にはなんの影響もないんです。

 

だってその「完全さ」「完璧さ」自体、そもそも動的なものなのだから。

 

 

 

「完全」とか「完璧」とかって聞くと、どうしても、なにかこう、

 

きちんと整えられて「しーん」と静まり返った、音も動きもない世界を想像してしまうと思うのですが、

 

それは違うんですね。

 

ここで言う「完全」「完璧」な世界っていうのは、

 

それ自体、常にダイナミックに動いていて、一瞬たりともとどまることがない世界なんです。

 

その動きの中にこそ、「完全さ」「完璧さ」があるんです。

 

いや、動いているからこそ、「完全」で、「完璧」なんです。

 

 

 

だから、私も含めた人間すべてが「なにか」をしたところで、

 

その「完全さ」「完璧さ」がくずれることは決してありません。

 

というか、私たちが「なにか」をすることすら、すべて組み込まれ、含め抱かれた、

 

その上での「完全さ」「完璧さ」が、「ここ」にはあるんです。

 

動いてなお、「完全」で「完璧」。

 

いや、動いているからこそ、「完全」で「完璧」。

 

だからこそ、私たちは、安心して、「なにか」をやっていけるんです。

 

矛盾は、一切、ありません。

 

 

 

「なにもしなくても、すべては、完全に、完璧」

 

「なにかをしても、すべては、完全に、完璧」

 

「どこまで行っても、完全に、完璧」

 

「なにもしない自分も、なにかをしている自分も含め、すべては、このままで、完全に、完璧」

 

だから、

 

「安心していていいんです」

 

 

 

ほんとうに、安心していていいんです。

 

安心して、今日も、いろんなことを、やったり、やらなかったりで、生きていきましょう。

 

良い一日をお過ごしください。