「自由」を生きよう

2015年6月29日

いつだって、どこでだって、なにをしていても、どんな人でも、間違いなく、かならず、ひとりのこらず、

 

私たちは、救われています。

 

誰に?

 

「ほんとうのわたし」に、です。

 

 

 

これはもう、「信じている」とか、そういったところを遥かに超えて、

 

「そうなんだから、そうなんです」

 

いや、

 

「こうなんだから、こうなんです」

 

の方が正確でしょうか。

 

とにかく、もう、そんな風に言うことしかできない、

 

「血肉」ということばですらまったく足りない、

 

もはや、それ自体をもって「わたし」と呼ぶことしかできない、

 

そのレベルで、

 

これは、まったき、事実です。

 

 

 

これがあるからこそ、「わたし」がこの事実そのものとして存在しているからこそ、

 

「私」は、この世界で、好きなように生きることができるのです。

 

 

 

「どうあっても救われている」っていうのは、

 

「どうあっても大丈夫」っていうことなんです。

 

それならば、「好きなようにやらせてもらいますよ」というところで。

 

 

 

いや、ほんとうは、「好きなように」なんてできないんです。

 

すべては、ただただ「起きてくる」ことだから。

 

そこに「私」の意志は介入できません。

 

でも、「救い」に完全に我が身を預けたところから、

 

「起きてくる」ことを虚心坦懐に眺めてみれば……

 

どうでしょう、不思議なことに、そこには、完全なる「自由」しかないのです。

 

「自由」だけが、広がっているのです。

 

 

 

すべては脚本であり、同時に自由。

 

まさに、そういうことなのだと思います。

 

 

 

今日は、これだけ。

 

 

 

自由を、生きていきましょう。