「恐怖」の所在地

2016年10月12日

おはようございます。小出遥子です。

今朝は非常に夢見が悪く、起きてからもしばらくの間、
心臓がどきどきいって、浅い呼吸を繰り返していました。
怖い夢って、ほんとうに嫌ですね……。

夢と現(うつつ)の区別も判然としないまま、
それでも朝のルーティンをこなそうと
薄暗いキッチンに立って白湯を沸かして、
ちょっと寒いけれど窓を大きく開けて、
秋風の香りを味わいながら、
いつもの椅子に座ってそれをすすって……

熱いお湯が喉を通って食道をすべり、
胃の底に「ストン」と落ちていったとき、
ようやく、いまに戻ってくることができました。

あれは、ぜんぶ夢だった、
ぜんぶ、ぜんぶ、夢だった、と。

いまここには「これ」しかなくて、
あの恐ろしい光景は、もう、どこにも存在しないのだ、
あとかたもなく、消えてしまったのだ、と。

動悸も、呼吸も、すうっと落ち着いていきました。

……これは、寝ているときに見る夢の話ですけれど、
私たちが「現実」と呼びならわしているものだって、
ほんとうは、ぜんぶ、これと同じなんですよね。

どこからともなくやってきて、
どこへともなく消えていく……。

いまここには、結局なにも残っていない。

「恐怖」は、あたまの中にしか存在できないんですね。
いまここには、それが存在する余地はありません。

それでも、私たちは、あたまの中で、
ごくごく勝手にいまここ以外の時間や場所を作り出して、
「恐怖」に居場所を与えてしまう……。

そんなことばっかり繰り返しているなあ……。

ぜんぶ、夢まぼろしなのにね。

それにしても、からだはありがたいな、と思います。
あたまの中で、どんなに夢まぼろしが暴れまわっていても、
熱い白湯ひとくちで、ちゃんと「いま」に連れ戻してくれる。

からだは、いつだって、いまここを生きているのですね。

南無からだ仏

南無南無……

 

やわらかい陽射しが降り注ぐ東京の朝です。

よい一日をお過ごしください◎