「変な宗教」って???

2016年10月14日

おはようございます。小出遥子です。

昨日、私がとても信頼している、仕事&人生の大先輩から
こんなメールが届きました。
ご本人に許可をいただいたので転載します。

Temple Web、楽しみに読ませていただいてます。
「今、いのちがあなたを生きている」
いい言葉ですね、こころから。

最近ふと気になったことがあります。
よく「変な宗教とかにはまってるんじゃない?」というような表現があります。
その「変な宗教」って、なんだろう?
逆にいえば、いったい何が「変じゃない宗教」なんだろう?
そういう言い方をすれば、すべての宗教は「変」なのではないか。
「変」じゃないと思えるのは、有名だからとか、
みんなが知っているから、とか、そういうこと。
でも、どんなメジャーな宗教にも、表面の一歩先には
不可解な、超越的な、神秘的な世界を持っているものだし、
そこを指して「変な」というのであれば、すべて「変」。
これも恐怖が言わせているのでしょうか。

いやあ……「まさしく!」な内容に、かなり感動してしまいました。
ちなみにこのメールに対する私の返信がコチラ。
(内容は、少し、読みやすく整えています。)

「変な宗教」について……。納得です。
首がもげそうになるほど、ぶんぶんうなずきながら拝読いたしました。

ほんとうに。

最近、よくBlogにも書いているのですが、
虚心坦懐に、起きていること、そして起きていないことを見つめれば見つめるほど、
「いのちのことは、やっぱり、さっぱりわからない!」
という結論に辿り着かざるを得ないのですよね。

その「わからない」ことを「わからない」ままに置いておいてくれるのが、
本来的な宗教の役割なんじゃないかな、ということをよく思うんです。
「わからない」を尊重して、そこにスペースを与えてくれるというか。

それならば、それをやろうとしている「ちゃんとした」宗教は、
すべて「変」なものになってしまいますよね(笑)。

私がつねづね「問題だな……」と思っているのは、
(「いかがわしい」と言われるような)たいていの教団宗教は、
「わからない」ものを「わからない」ままに置いておかずに、
ほとんど無理やり「わかる」ような物語に変えてしまうことです。

こういうのって、瞬間的には「救い」に見えるんですけれど、
でも、結局、最後には誰も救っていないのではないか、と……。

ふうむ……我ながら、なかなかいいこと言っていますね(笑)。
このメールに対して、大先輩からはこんな返信をいただきました。

そうそう!
わかる物語は、楽なんですよ。
「おまえ、楽になりたいんだろう?」
というやつ。こわいこわい。

そしてそこが集客集金システムのポイントになります。
(漆黒の歴史の中で、そのあたりのネットワークビジネス的なものに
けっこう接近してみたことがありまして……それなりに知っています)
結果はもちろん誰も救われていない、幸せになっていない。
そうやって手に入れた救いは、すぐに次の恐怖につながり、
不安を持ち込んでくるのだと思います。

うーん、いい対話していますねえ(笑)。
これを真昼間からやっているのだからすごいですよね。
Temple的な人が2人以上集うと、いつでもどこでもTempleになってしまうという……。

まあ、それはいいとして。

ほんとうに、「恐怖」の問題は根深いですね。
「わからない」ことは、人間にとって「恐怖」なんですね。
「自分の生存を脅かすもの」として認識されてしまう……。

でも、そもそも、脅かされる「自分」って、誰?
あるいは、何?

そこが不問のままになっているから、
「恐怖」はいつまで経っても「恐怖」のままだし、
そこから出てくる行動が変わらないんだと思います。

一度でもじっくりと腰を据えて、
「恐怖」を「恐怖」として感じる「自分」の方に目を向けてみたら、
いろいろな物事の枠組みが、揺らぎ始めるんじゃないですかね。
その先に、「恐怖」が「恐怖」でなくなる地点があって……。

「宗教」の役割は、本質的には
そのあたりに集約されるものなのではないかな。

……なんて、また朝から熱くなってしまいました。
こういうことを書くから、「変なBlog」扱いされるんですよね~(笑)。
でも、やめないもんね~。

朝晩すっかり冷え込むようになりましたね。
どうかご自愛ください。

よい一日をお過ごしください◎