「さるべき業縁」と「おたがいさま」

2015年8月5日

私は、割とよく「おおらかだね~」と言われます。

 

これは、まあ、自分でも思います。

 

「私って、ほんと、(ありとあらゆる意味で)おおらかなヤツだよな~」と。笑

 

まあ、これ、表現を変えれば「テキトー」ということになるので、

 

これで誰かに多大な迷惑がかかっているのだとしたら、

 

さすがに反省しなきゃな~と思いつつ、

 

でも、「きっちりつめて考える」ことを第一目標としてキチキチと生きていたときより、

 

(信じられないかもしれないけれど、私にもそんな時代もあったのです……)

 

自分としてはずっとずっと「楽」になったことは事実なので、

 

そして自分が「楽」だと周りにも寛大でいられるので、

 

つまりは人に対してやさしい気持ちで接することができるので、

 

結果としては、まあ、これでいいかな……

 

というか、これがいいかな、と思っています。

 

 

 

このおおらかさの根底には、あるひとつの思いがありまして。

 

それは、まあ、超簡単に、ひとことで表せば、

 

「おたがいさま」

 

っていうことになるのですが。

 

 

 

親鸞聖人に、

 

「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」

 

ということばがありますね。

 

「縁によっては、どんな行いをするかもわからない。それが人間という存在だ」

 

といったような意味です。

 

 

 

これがね~、もう、ほんとうに、おなかのふか~~~いところからわかってしまうのです。

 

だって、私も、さんざん、ばかなこと、なさけないこと、ろくでもないこと、非道なこと(!?)、

 

いろいろいろいろやってきたから。

 

いや、もう、ほんとうに、いろいろいろいろ!!! やってきたんです……。

 

反省ばかりの半生です……。

 

それら、ぜんぶ「縁」のせいにしてしまうのも、

 

「それってズルくね~?」というお話ではあるのですが、

 

でもね、そのときそのときを振り返ってみても、なんというか、

 

どうやったって、そういった「おろかなふるまい」を避けることはできなかっただろうな、

 

と思うことだらけなんですね。

 

「そうなっていた」「そう決まっていた」だから「そうなった」

 

「それ以外なかった」「そこに自分の意志はなかった」

 

そんな世界というか……。

 

 

 

その代わり、と言ってはなんですが、「おろかなふるまい」とは反対に位置するような行為だって、私、いろいろやってきたんですよ。

 

数え切れないほどの非難や罵倒のことばと同時に、

 

数え切れないほどの賞賛や感謝のことばも、この身に浴びて生きてきました。

 

でも、それだって、すべて、私が意志をもってそれをやってきたわけじゃない。

 

意思をもってやったことだってあったとは思うけれど、それだって単に自分がそう思い込んでいるだけかもしれない。

 

しれない、というか、きっと、そう。

 

結局、ぜんぶ、

 

「そうなっていた」「そう決まっていた」だから「そうなった」「それ以外なかった」

 

という世界のお話で。

 

ほんとうに、「人間が意志をもってできることって、いったいどのぐらいあるのかな」って。

 

 

 

なんかね、考えれば考えるほど……

 

というか、考えることをいったん脇にどけて、

 

虚心坦懐に「事実」だけを超愚直に見つめれば見つめるほど……

 

「ほんとうに、すべては“縁”次第なんだなあ」

 

ということが、理屈を超えてわかってきてしまうんですよね……。

 

 

 

「縁」の網目から逃れられる存在なんかいません。

 

というか、「存在」そのものが、「縁」によって成り立っているので、

 

そこはもう、なんというか、「どうしようもない」のですよね。

 

でも、決してネガティブなイメージじゃなくて、

 

その真実に全面降伏したところにこそ、

 

「ゆるし」

 

というものが生まれてくるんじゃないかなあ……と。

 

それは、ただただ、受けいれるべきことなんじゃないかなあ……と。

 

そんなことを思うのです。

 

 

 

「縁」によって生じ、「縁」によって滅する存在という点で、

 

この世のすべては、まったく平等です。

 

「特別」な存在なんか、ひとつとしてありません。

 

 

 

「理解」は「ゆるし」を運んでくるし、

 

「ゆるし」は「平和」を運んできます。

 

 

 

真の「平和」を実現したいなら、ひとりひとりが、ありのままを、ありのままに見つめること。

 

そうして、「おたがいさま」の、ほんとうの意味を知ること。

 

それだけしかないんじゃないかなあ。

 

 

 

自分の経験から、ほんとうに、そう思います。

 

「自分」をゆるせたとき、「他者」をゆるせたし、

 

「他者」をゆるせたとき、「自分」をゆるせたから。

 

そして、そこには「平和」だけが広がっていたから。

 

 

 

「おたがいさま」で、ゆるしあって、やさしい気持ちで生きていけたらいいですね。

 

 

 

よい一日をお過ごしください。