東京タワーのパラドクス

2015年8月11日

東京タワーの展望台からは、東京タワー自身の姿は見えないように、

 

スカイツリーの展望台からは、スカイツリー自身の姿は見えないように、

 

私自身の「しあわせ」は、私が“私”である限り、決して見えないものなのかもしれません。

 

 

 

なんというパラドクス。

 

すでに「それ」そのものであるのに、“私”自身はそれを知ることがないだなんて。

 

 

 

でも、ただひとつ、(アクロバティックな)抜け道があります。

 

私が、“私”から、自由になることです。

 

 

 

“私”を超えたところに在る“わたし”を、“わたし”自身が発見したとき、

 

「しあわせ」以外のものは、そもそも、存在すらしていなかったことに気づくのです。

 

 

 

“私”から“わたし”へとトランスフォームするには、

 

“私”の不在を見抜くこと。

 

ただ、それだけです。

 

 

 

「いま・ここ」に、ただ、あってみてください。

 

“私”は、ほんとうに実在しているでしょうか。

 

 

 

“私”を超えたところに、ただ「ある」“なにか”に気づいたとき、

 

ずっとずっと求めていたものは、すでに与えられていたことが分かるのです。

 

 

 

 

 

どうか、よき日を。