1を1のまま、1として受け取る

2017年11月7日

おはようございます。小出遥子(こいではるこ)です。

相変わらずの体調不良。
喉の腫れ、痛み、咳、痰、鼻水、全身のだるさ、熱っぽさ……。
風邪のフルコースを味わっております。

でもね、なんか、元気です。
「病める」のは健康な証拠。
症状を「出せる」からだに大感謝。

ところで、先日会った友人が、半年前の私のツイートを画面保存して
スマホの待ち受けにしていてくれて(!)大変感激したのですが、それがコチラ。

誰かが自分にくれたうれしいことばは、できる限りそのままの意味で、素直に受け取った方がいい。裏の意味とか、矛盾とか、そんなことは考えなくていい。ただ、相手がそれを自分に与えてくれて、自分はそれを受け取って「うれしい」と感じた。ほんとうにそれだけでいい。それだけでしあわせでいられる。

半年前の私、いいこと言っているなあ!(笑)

世の中的には「1聞いて10分かる」みたいなのが良しとされています。
それは確かに優れた能力ですけれど、
私個人としては、

「1を1のまま、1として受け取る」

ということも、また、大切にしたいと思っています。

事実を事実として、そのまま受け取る。
仏教で言う「如実知見(にょじつちけん)」ですね。

事実を事実の大きさのまま受け取らずに、
頭の中で変な風にストーリーを増殖させたり、
逆に変な風にストーリーを切り捨てたりしてしまうと、
そのギャップを母体として苦しみが発生します。
フィクションに振り回されてしまうんですね。

ここまでは、理屈で理解できるお話ですよね。

しかし、問題は
「♪わかっちゃいるけどやめられない」
ってところにあるわけで。

頭でわかって、即座に行動に反映できるなら苦労はしません。
できる人はやればいいけれど、たいていの人にはこれは難しい。
私自身、はっきり言って、めーちゃめちゃ苦労しています。

かと言って、
「1を1のまま、1として受け取ることができない」自分を責めはじめたら本末転倒で。

だから、最初のステップとしては、
「1を1のまま、1として受け取ることができない」自分自身を
まずはまっすぐに見つめることかな、と。

如実知見できない自分を如実知見する。
そして、そんな自分をゆるして、抱きしめてあげる。

それを、都度繰り返すんです。

ものすごく地道だけれど、
実は、これが、如実知見へのいちばんの近道のような気がしています。

なんにせよ、いまの自分を責めないことですね。
どうしても責めてしまうときは、
自分を責めてしまう自分を責めないこと。

そうしているうちに、なにかがほどけてゆるんでいく。
そこから見る世界は、どんな姿をしているのかな。
たのしみですね。

今日もお読みくださってありがとうございます。
よい一日をお過ごしください◎

 

次回「遥子の部屋」は、12月4日(月)20時からです。

小出遥子への質問、お悩み相談、最近のブログやTempleのご感想など、
どなたさまでもお気軽にメッセージくださいませ~。
ご質問やご相談には、番組内で、可能な限り、お答えさせていただきます。

フェイスブックページ(https://www.facebook.com/koide.haruko/)に
メッセージを送っていただくか、
Templeのメールアドレスにお願いします。

temple00001.info@gmail.com
(@を半角に変えてお送りください!) 

対面での人生相談受けつけます。
安心できる空間(東京都内のお寺の一角など)で、
じっくりお話を聞かせていただきます。
ご興味のある方はご連絡くださいませ。

temple00001.info@gmail.com
(@を半角に変えてお送りください!)