「苦しみ」と「自分」と「救い」

2015年8月17日

お盆があけまして、このブログも今日から通常営業です。

 

 

 

このお盆休み中、ちょっとびっくりするようなことがありまして。

 

「え~!? うそ~!?」と思うような出来事が、私の身の上に降りかかってきたのです。

 

「一般的な人間の人生に、一度起こるか起こらないか」ぐらいの、割と大きな出来事です。

 

……が。

 

ががが!

 

瞬間的にこころが乱されたものの、即座に平常モードになっていた私……。

 

あまりに淡々としている私に、周りの方がびっくりしていました。

 

 

 

この出来事から、私、学びました。

 

つくづく、苦しみって、状況によって与えられるものじゃないのだよなあ……と。

 

「誰か」とか、「なにか」とか、「出来事」とかのせいで、苦しみが生じるわけじゃない。

 

自分が苦しいのは、いつだって、自分のせい、なんですね。

 

自分自身が〝苦しみ製造機”として生きているから、

 

「誰か」や「なにか」や「出来事」に反応して、

 

なんでもかんでも苦しみに変えてしまうんです。

 

すごく厳しいこと言いましたけど。

 

でも、まずはその事実を認めないことには、いつまで経っても苦しみは消えてくれません。

 

 

 

前もこのたとえは使いましたが、苦しみって台風のような構造をしているんですよね。

 

中心部に近づけば近づくほど、雨や風は激しくなる。

 

でも、そのど真ん中には、いつだって完全なる静寂が広がっている。

 

そして、いざ、その静寂に身を浸してしまえば、台風自体が消滅してしまうんですね。

 

 

 

苦しいときは、とことん自分と向き合うチャンスなのだと思います。

 

中心に近づけば近づくほど強くなる雨や風に、ひるんだり、くじけそうになることもあるでしょう。

 

でも、だからと言って、周辺に逃げていても解決にはなりません。

 

いつかは、じっくりと腰を据えて、「自分」と向き合わないといけないのだと思います。

 

 

 

自分はどうしてこんなに苦しいのか。

 

自分が苦しいのは、ほんとうに状況のせいなのか。

 

そして、なによりも、

 

自分が自分と呼んでいるこの「自分」とは、いったいなにものであるのか。

 

 

 

厳しい道です。

 

でも、そこにしか「救い」はない。

 

 

 

だから、ただただ、がんばれ、と。

 

ぜったいに、大丈夫だから、と。

 

 

 

いのりを捧げることしかできないなあ……。

 

 

 

私は、大丈夫です。

 

苦しみからフリーになった「あなた」と再び会える日を、楽しみにしています。