「受けとめて、放っておく」ということ。

2015年8月27日

人間っていうのは、本当に、

 

「事実を事実としてそのままに受けとめて、それ以上はいじらないで放っておく」

 

ということが苦手な生きものだな~と思います。

 

もちろん、私もふくめて、です。

 

 

 

たとえば、なにやら胃が重苦しいとき。

 

本当の原因は、単なる食べ過ぎであるにもかかわらず、

 

「なんだか胃が重い……」

 

→「この胃の重さは、精神的なストレスを受けたときのものと同質だ……」

 

→「ストレスの原因はなんだ……!?」

 

そうやって、こころは、ストレスの原因らしきものを、

 

“ごくごく勝手に”探り始めてしまうんですね。

 

 

 

くり返すけれど、本当の原因は、単なる食べ過ぎです。

 

精神的なストレスは、そこでは一切関係がありません。

 

(ストレスがかかっているから過食に走った、ということも考えられるけど、

 

そのケースは、とりあえずここでは不問に付しておきます。)

 

 

 

だけど、「ストレスの原因らしきもの」なんて、探せば簡単に見つかってしまうもの。

 

「そういえば彼からメールの返信がきていない」とか、

 

「来月のクレジットカードの支払いが心配だ」とか、

 

「3週間前の課長のあの一言、いま思い出しても腹が立つ」とか……

 

そういったことを、

 

ど真面目に考えていけばいくほど、

 

あら不思議!

 

食べ過ぎによる胃の重苦しさは、

 

それら個別具体的な出来事を原因とした、

 

立派なストレス病に早変わりです!!!

 

 

 

で、今度は、その出来事をどげんかせんといかん!(古い……)ということで、

 

さらなるアサッテの方向へとこころは駆けていき、

 

胃はさらに重くなり、

 

結果、想像上の不調の原因が、実際の原因になってしまう……

 

 

 

ばかばかしいこと、この上なし!

 

でも、こういうこと、実は結構な頻度で起きている気がするんですよね。

 

 

 

すべての出来事は、「いま・ここ」に、瞬間ごとに生じては滅する、実体なきあらわれです。

 

「事実を事実としてそのままに受けとめて、それ以上はいじらないで放っておく」ことさえできれば、

 

ほんとうは、すべて、一瞬のうちにはじけて、跡形もなく消えていくはずなんです。

 

 

 

なのに、人間のこころは、どうしてもそれを掴んで、実体化してしまうのですよね。

 

掴むだけならまだしも、こねくり回して、ひっぱって、余計なものをくっつけて、

 

本来あった姿の何倍もの大きさ、重さにして、

 

で、文字通り手に負えなくなって、

 

「どうしよ~~~」

 

と涙目になって騒いでいる……。

 

なんだか、こんなことばっかりやっている気がします。

 

 

 

まあ、これも娯楽みたいなもので、

 

そうやって遊んでいるんだと言われたら、

 

「そうですか。ならばお気の済むまで、存分に。」

 

と返すほかないのですが、

 

私は、もう、こういう遊びには飽きたな~と思っています。

 

 

 

すべてを、あるがままの姿として、あるがままに受けとめたい。

 

いつだって、そうやって生きていきたい。

 

 

 

なかなか難しいことかもしれないですけれどね。

 

でも、「人間には物事をふくらませて考えるクセがある」ということを知っているだけでも、

 

上記の生き方を実現させる契機にはなるかなあ、と。

 

 

 

 

 

 

 

もう、すっかり涼しくなってしまいましたね。

 

よき日をお過ごしください。