ただ、起こっているだけ。

2015年8月29日

すべては、「いま・ここ」において、

 

「縁」によって、

 

「ただ、起こっているだけ」なのだとしたら?

 

そして、それが「真実」なのだとしたら?

 

 

 

「私」の「これをしよう!」も、

 

「あなた」の「あれを食べよう!」も、

 

「彼」の「あそこに行こう!」も、

 

「彼女」の「あの人に会おう!」も、

 

「縁」によって、

 

「ただ、起こっているだけ」なのだとしたら?

 

そして、それが「真実」なのだとしたら?

 

 

 

そこに本人の「意志」なんてものは、

 

ほんとうの意味ではまったく存在しなくて、

 

その「意志、らしきもの」すら、

 

すべて「いま・ここ」において、

 

「縁」によって、

 

「ただ、起こっているだけ」なのだとしたら?

 

そして、それが「真実」なのだとしたら?

 

 

 

上記の「真実」を

 

「受けいれる」も「受けいれない」も

 

すべて「縁」次第で、

 

そこに「自分」の意志なんて、

 

ほんとうはひとつも関与していなくて、

 

でも、そこにおいて、

 

「私はこれを受けいれる!」

 

とか

 

「いや、ぜったいに受けいれない!」

 

とか、

 

そんな風に、

 

すべてを「自分」で決めているような感覚を持ったとしても、

 

その「感覚」すら、

 

すべて「縁」次第で、

 

それすらも、

 

ほんとうは、

 

「ただ、起こっているだけ」なのだとしたら?

 

そして、それが「真実」なのだとしたら?

 

 

 

「縁」の網目から逃れられる存在なんてひとつもない。

 

すべては、ただ、起こっているだけ。

 

これは、まったき、「真実」です。

 

 

 

降参できたら、楽になれるのにね。

 

 

 

 

 

 

 

思召すままに。