「信念なんか、捨てたもん勝ち。」

2016年10月18日

おはようございます。小出遥子です。

昨日の夜、ふと思いついて、ツイッターで、
「信念なんか、捨てたもん勝ち。」
と、つぶやいてみました。

……かっこいいこと言いますね~(笑)。
でも、これ、ほんとうにほんとうだと思うんです。

いや、
人間、信念持ってがんばらなきゃいけないときだって
もちろん、あるとは思うんですけれど……
どうなんだろう。
その「信念」やら「こだわり」やらが
自分や周りを縛ってはいないかな? 
自由を奪ってはいないかな? っていうのは、
定期的に点検しなきゃいけないところだとは思うんですよね。

「諸行無常」がこの世のルールである限り、
いまこの瞬間に有効だった信念が
次の瞬間も引き続き有効であるとは限らないので。

というか、有効であり続けることの方が少ない、
と思っていた方がいいかもしれない。

信念を持つなら、
次の瞬間にそれを捨て去る勇気とセットでお願いします。

なんだろうな。
「信念」や「こだわり」って、一般的には「良きもの」と
されているようなところがあると思うんですけれど、
その概念自体が、もう、ちょっとだけ「古い」ような気がするんですよね。
「古い」というのは、言い換えれば「重い」ということです。

これからの時代、あたらしい時代に必要なのは、
まずなによりも「軽やかさ」。

瞬間ごとに、縁の中で起きてくるすべてを虚心坦懐に見つめ、
その中で「自分」に求められた役割を軽やかに果たしていく。
いつだって大きなつながりの中にあることを
おなかの深いところで感じながら、
ひらひらと舞うように、遊ぶように生きていく。
そういうのが「一般的」になっていく時代がやってきていると思うんです。

「信念」や「こだわり」って、
「自分が頑張らねば!!!」という力みとセットになっていますよね。
でも、それってほんとうなのかな?
ほんとうに「自分」が「頑張ら」なきゃいけないのかな?

すべては縁の中で起こっていることで、
それはいつだって完全に完璧で、
「自分」は、ただ、力を抜いて、流れに身をまかせていればいい。

究極の「自由」はそこにありますよね。

「信頼感」「安心感」とセットになった「自由」は、無敵です。
文字通り「敵」が無い。
「敵」という概念がそもそもない、ということです。

そういう風に生きてもいいんだよ、
人間には、その権利があるんだよ、と、
その可能性がはっきり開示されるようになったのが、
いまという時代なのかな、と思っています。

私たち、ほんとうに面白い時代に生まれましたね。

「自由」を生きていきましょう。

 

雨上がりの空気が肌に心地いい東京の朝です。

よい一日をお過ごしください◎