「解像度を上げる」ということ。

2015年10月7日

―いろんなものの感じ方が変わる、と言うのは?

 

高木:僕、自分の人生で究極的に何がしたいかといったら、感覚を広げたいだけなんじゃないかと思えてきたんです。解像度を上げたいというか、今まで見えてなかったところまでちゃんと味わいたい。本当だったら100まであるところを30くらいしか味わってなかったらもったいないですよね。ピアノを弾いていても、毎日少しずつ発見があって、今まで何で気付いてなかったんだろうっていう単純な事実に驚かされるんです。「ここまでだと思ってたのに、こんなに味わえるんだ!」って。そういうときが生きていて一番楽しいし、それしか求めてない気がします。本を読んだり、誰かと話したり、何かを経験したりするのも、「まだこんなにあったんや」って感じたいから。なんとはなしの不満や不安、欠乏を感じているのって、それが感じられないときだと思うんです。

 

(CINRA.net インタビュー 山奥で暮らす高木正勝が届ける、人生を変える「感じ方」の授業 より)

 

 

 

 

 

 

 

高木正勝さん。

 

大好きなアーティストさんです。

 

 

 

高木さんは、最近、兵庫と京都のちょうど境目に位置する、山奥の小さな集落に暮らしの拠点を移されました。

 

その理由のひとつが、「感覚を広げる」こと。

 

上のインタビューでは「解像度を上げる」ということばを使っていらっしゃいますね。

 

 

 

この、「解像度を上げる」という表現に、私、ものすごくぐっときてしまいました。

 

ああ、これだな、と。

 

私がやりたいこと、もう、ほとんど、それだけだな、と。

 

 

 

「世界を変える」

 

っていうのは、つまりは、

 

「自分を変える」

 

っていうことなんですよね。

 

自分の……というより、

 

自分“という”レンズの性能を上げる。(もしくは下げる。)

 

そうすることでしか、ほんとうの意味では、「世界」は変わらない。

 

だって、究極的には、

 

「世界」と「自分」は、

 

「ひとつ」

 

なのだから。

 

 

 

私は、「世界」のうつくしさを感じていたい。

 

ただただ「世界」と「ひとつ」になって、

 

そのうつくしさを生きていたい。

 

 

 

仏教や、さまざまな「スピリチュアル」な教えに触れることや、

 

身心を健やかに保つことや、縁ある人々を大切に思うことや、

 

いま・ここで起こるすべてと、ただ、ともにあることや……

 

 

 

「私」が、「わたし」として選び取ること、すべて、

 

たった「ひとつ」の、

 

いや、「ひとつ」という名の、

 

“ねがい”に集約されていくなあ……と。

 

それは、もはや“いのり”だなあ……と。

 

 

 

 

 

広がったり、縮んだり、

 

上がったり、下がったり、

 

鋭くなったり、鈍くなったり、

 

晴れたり、曇ったり。

 

その都度、「世界」は変わっていく。

 

 

 

でも、ほんとうの“いのり”は、

 

変わりゆくものの背後にある、変わらないものを見つめること。

 

ただただ、それとともにあること。

 

それとして、生きること。

 

いま・ここを、生きること。

 

 

 

それは、いつだって、

 

いま、この瞬間にも、すでに、

 

完全に、完璧に、

 

「叶えられている」ことなのかもしれないね。

 

 

 

ほんとうは、いつだって、いま・ここなのだから。

 

 

 

そうなると、

 

もう、ほんとうに、

 

「思召すままに」だけだなあ……。

 

ただ、それだけだなあ……。

 

 

 

 

 

 

 

どうか、よき日を。