問題メガネ~!(ドラえもん風に)

2015年10月11日

ここ最近、ますます、

 

「ほんとうに、問題っていうのは、“外側”にはないのだよな~」

 

との感懐を強く抱くようになりました。

 

 

 

かと言って、問題が自分の“内側”にあるのかと言ったら、

 

決してそういうわけじゃなくて、

 

だから「自分を責める」なんていうのも、超絶ナンセンスなお話で……。

 

 

 

じゃあ、なにか「問題」的なものがあらわれているとき、

 

いったいどうなっているのか、と言ったら……

 

なんと言うのかな……

 

「問題メガネ」とも呼ぶべきものを、“不可抗力”で、

 

いつの間にやら“強制的に”かけさせられている状態、

 

というのが一番正確かな。

 

 

 

問題というものが、外側に独立してあるわけではなく、

 

かと言って内側にあるのか、と言ったらそうではなく、

 

それは単に、あなたがいまかけている、

 

その曇りまくった「メガネ」にあるんじゃないの?

 

その曇りこそが、「問題」ってやつなんじゃないの?

 

……という感じかな。

 

 

 

外側に曇りというものがあるわけじゃなくて、

 

かと言って自分の目が曇っているわけじゃなくて、

 

メガネに曇りがあるんですよ、

 

っていうことです。

 

(クドいね。すみません……)

 

 

 

でも、たいていの場合、

 

その曇りまくった「問題メガネ」をかけていることに、

 

本人、まったく気づいていないんですよね。

 

 

 

そりゃそうです。

 

だって、繰り返しになりますが、

 

そのメガネを自分の意志で選んで、

 

自分の意志で装着しているわけじゃないから。

 

 

 

そのメガネは、“不可抗力”によって、いつの間にやら、

 

“強制的に”かけさせられているんです。

 

 

 

寝ている間に装着させられていることもあるだろうし、

 

誰かとすれ違った一瞬に装着させられることもあるでしょう。

 

 

 

で、本人もまったく知らないうちに、いつしか、

 

その曇りまくった「問題メガネ」を通してしか、

 

世界を見ることしかできなくなっている……。

 

 

 

そうして、「あの人が悪い」「あのシステムが悪い」と、外側の誰かや何かを責めてみたり……

 

もしくは、「ぜんぶ俺がこんなだからいけないんだ……」と、自分自身を責めてみたり……

 

といったような、それこそ「問題」とも呼ぶべき事態が生まれてきてしまう……。

 

 

 

問題は、メガネにあるにもかかわらず、です!!!

 

 

 

そう、問題は、すべてメガネにあり、なんです。

 

外側も、内側も、いつだって、完全、完璧に、整えられているんです。

 

「世界」は、本来、そのままで、完全、完璧に、うつくしい場所なんです。

 

 

 

「世界」がそんな風に見えないとしたら……

 

それは、自分の目の上に、「問題メガネ」が乗っかっている証拠です。

 

 

 

じゃあ、この「問題メガネ」をどうするか?

 

簡単です。

 

その存在に気づいた時点で、はずして、捨てればいい。

 

メガネを通して、ではなく、直接に、直に触れる「世界」は、

 

とてつもなくうつくしい場所です。

 

 

 

メガネの外し方には、いろいろありますよね。

 

瞑想や坐禅や、あと私のオススメは念仏ですね(昨日の記事参照)。

 

あと、人によっては、運動をしたり、

 

自然の中で深呼吸をしたりすることが有効な場合もあるでしょう。

 

いろいろあるでしょうから、ご自身に合ったものを探してみてください。

 

 

 

この「メガネをはずす」営みこそを、「修行」と呼ぶのではないかな。

 

 

 

あ、そうそう、あと、もうひとつ言っておかなきゃいけないのは、

 

この「問題メガネ」、一回はずして、

 

はい、ゴール! すべて終わり! 良かったね!

 

っていうわけにはいかないものなんです……っていうことですね。

 

 

 

生きている限り、「縁」によって、何度も何度も自分の目の上には、

 

曇りまくったメガネが乗っかり続けます。

 

もう、ほとんど、毎瞬、乗っかり続けます。

 

 

 

じゃあ、どうするか?

 

毎瞬、毎瞬、それに気づいて、はずしていくしかない。

 

もう、それだけです。

 

地味なんです。地道なんです。

 

一気に解決する魔法なんて存在しない。

 

地味に、地道に続けていくしかない。

 

 

 

面倒くさい?

 

そりゃそうです。

 

「修行」は面倒くさいんです。

 

でも、やっていくうちに、クリアな、ありのままの、

 

うつくしい「世界」への親しみは増していくはずです。

 

「世界」と恋に落ちたらこっちのもんですね。

 

「修行」が、とにかく楽しいものになっていくので。

 

そうなると、「人生」が楽しくなっていきますね。

 

 

 

どうせやるなら楽しい修行。

 

どうせ生きるなら楽しい人生。

 

 

 

 

 

 

 

東京は、雨。

 

雨の日は雨の日なりに、楽しく生きていきましょう。

 

 

 

よい日曜日を。