「私」がいても問題なし。

2015年10月13日

こういう(笑)ブログを毎日書いていると、たまにこんな質問をいただきます。

 

「小出さんは、四六時中“私はいない”を生きていらっしゃるのですか?」

 

 

 

これねー……

 

ごめんなさい。

 

いままでの私の文章の書き方に問題がありましたね。

 

というか、こういうのって、

 

そもそもことばを超えたところの話なので、

 

どうしたって限界はあるのですが……。

 

 

 

いや、“私”は「いない」んですよ。

 

それは間違いないんですよ。

 

でも、「いない」けど「いる」んですよ。

 

そして、「いる」けど「いない」んですよ。

 

 

 

ごめんなさい。

 

決して煙に巻いているつもりはなくて、

 

正確な表現を追い求めていくと、

 

どうしても、こういう表現になってしまうんです。

 

 

 

そうだなあ……

 

現時点で、一番、正確に、まっすぐに表すとすれば……

 

 

“私”はいない。

 

すべては“わたし”。

 

だからこそ、

 

“私”は、いてもいなくても、差支えない。

 

 

……ということになるかなあ。

 

 

 

先日のブログで、「空(くう)を空じ切る」という表現を使いましたが、

 

「空」に、完璧に、完全に、身を浸してしまえば、

 

つまり、

 

「私」の不在性に、完璧に、完全に、身を浸してしまえば、

 

ふとした瞬間に「私」が顔を出しても、

 

その「私」すら抱き含めたところから、

 

すべては「わたし」、

 

と言えるので、

 

というか、そのときにはすでに、

 

すべては「わたし」っていうのが、

 

文字通り「すべて」に、

 

つまり、「私」にまでしみわたっているので、

 

そこになにも問題は生じないんですね。

 

「私」がいてもいなくても、そこにこだわるポイントはない、というか……。

 

左団扇で「ん。よきにはからえ。」と言えちゃう、というか……(笑)

 

 

 

意味、伝わっておりますでしょうか。

 

 

 

「私」はいない、

 

っていうのは、大前提なんですよ。

 

でも、

 

それと裏表一体になっている

 

すべては「わたし」、

 

っていうところも、決しておろそかにしちゃいけない……

 

というか、そちらこそが、大事なところなので。

 

 

 

それを大切にしないで、

 

「私」はいない、

 

っていうのだけをスローガンのようにして掲げてしまうと、

 

「私」が出てきたときに、そいつを敵視するようになってしまうんです。

 

 

 

いやいや、それは違うでしょう、と。

 

「私」だって、「わたし」なんです。

 

だから、いいんですよ、「私」がいたって。

 

なにも問題はないんです。

 

 

 

大切なのは「抱き含める」というところですね。

 

「わたし」には、その力があります。

 

 

 

もっと「わたし」を信頼しても大丈夫です。

 

ことばにこだわらなくても大丈夫。

 

おまかせしていて大丈夫。

 

 

 

最後に魔法のことばを書いて、今日のブログは終わりにします。

 

 

 

「お差し支えなし、ご注文なし」

 

(妙好人・おソノさんより)

 

 

 

 

 

 

 

よき日を!