「からっぽ」との遭遇

2015年10月24日

昨日の夕方、まあ、なにが起こったというわけでもないのですけれど、

 

なんとな~く気分がふさいで、

 

考えても仕方のないようなことが次から次へと頭に浮かんできて、

 

なにをするにもおっくうな感覚を味わっていたのですが、

 

旦那さんから「帰るよー」の連絡も来たし、

 

まあ、とりあえず晩ごはんを作ろう……と、

 

重い腰をあげてキッチンに向かい、

 

冷蔵庫を開けてどんな野菜が残っているかをチェックして、

 

頭の中で献立を組んで立ち上がり、

 

まな板をセットして、包丁を手にとって、重心を腰に落として一呼吸……

 

 

 

……の、後から、記憶がない!!!

 

 

 

いや、「記憶がない」とか言うとあまりにもおおげさなんですが、

 

でも、あれでした。料理をしている間、私、「からっぽ」でした。

 

「からっぽ」とともにありました。

 

 

 

料理という行為は昔から割と好きで子どもの頃からよくやっていたし、

 

結婚してからは、趣味と実益を兼ねて、

 

ほぼ毎日、張り切ってキッチンに立っているのですが、

 

あんなに「からっぽ」な感じで向かうことなんて、私の中でもめずらしいことでした。

 

 

 

料理って偉大です。

 

なぜって単純作業だから。

 

 

 

もちろん、手順や段取りを考えるときには、

 

あと、各材料の火の通りやすさなどを考えるときには、

 

ちゃんと頭を使って複雑な計算なども行うのですが、

 

野菜の皮をむいたり、切ったり、材料を炒めたり、煮込んだり……

 

そういうひとつひとつは、すべて単純作業なので、

 

一度流れに乗ってしまえば、あとは然るべき手順を淡々と踏んでいくだけで……

 

あら不思議。小一時間ほどのちには、おいしいご飯のできあがり! ってわけです。

 

邪念の入り込む余地がない!!!

 

 

 

偉大さは日々の営みの中にあり……。

 

 

 

いや、そうは言っても、実際、

 

いんげんのヘタを取りながら、

 

しいたけをスライスしながら、

 

にんじんを素揚げしながら、

 

幾度も、「邪念」らしきものが湧き上がりかける気配は感じましたよ。

 

でも、それらすべて、「気配」の段階で消えてしまったのですよね……。

 

 

 

「からっぽ」の心地よさの前では、「邪念」など、完全に無力なのでした。

 

 

 

なんというのかな。

 

 

ほんとうに、「ここ」には、なにもないんだよな、

 

「からっぽ」なんだよな、って。

 

その「からっぽ」な空間になにを浮かべるか、

 

それだけが「世界」を決めているんだよな、って。

 

ならば、私は、できるだけ心地よい「世界」を選んで生きていきたいな、って。

 

ということで、邪念さん、あんた出る幕ないよ、引っ込んでいなさい、って。

 

 

と、まあ、こういう問答が一瞬のうちに繰り広げられて……

 

かくして、私のこころの平安は守られたのでありました。

 

合掌。

 

 

 

偉大さは日々の営みの中にあり……。

 

 

 

まあ、これ、今回はたまたま料理をしているときに、こういう流れが起こったわけですが、

 

たぶん、「からっぽ」との遭遇の機会って、

 

日常のいたるところに潜んでいるんだと思うんです。

 

でも、「からっぽ」は「からっぽ」であるかゆえに、存在感がない!(笑)

 

だからスルーしてしまうことが多いのね……。

 

 

 

でも、実際に腰を据えて向き合ってみると、

 

「からっぽ」っていうのは、

 

単なる「無」なんかじゃなくて、

 

「有」に満ちた「無」、

 

無数の「有」の母体としての「無」、

 

そういうものであることが(「もの」じゃないけれど)、

 

理屈を超えたところから理解されるのですけれど……。

 

 

 

ほんとうは、いつだってそこを生きられるんだよなあ、と。

 

これって、ほんとうに“自由”なことだなあ、と。

 

 

 

しみじみとこんなことを思いつつ、

 

帰宅した旦那さんとご飯をおいしくいただいて、

 

ついでに、チラッと、「さっきまで邪念さんにやられていて……」

 

という話を聞いてもらって、

 

「大丈夫だよ」と励ましてもらって、

 

食後に、北海道のおいしいお菓子をおいしいお茶とともにいただいて、

 

母に「お土産ありがとう。おいしいです。」みたいなメールを送って……

 

みたいなことをしていたら、

 

私、もう、すっかり元気になっていました。

 

おかげさまで昨日はぐっすりでした。

 

 

 

偉大さは日々の営みの中にあり……。

 

 

 

まあ、結局、「日々を大切に」っていうことですね。

 

って、こんな風にまとめると、ものすごく陳腐な感じになってしまうのですが、

 

でも、ほんとうにそう。

 

そうとしか言えない。

 

だって、「ほんとうのこと」は「いまここ」にしかないのだから。

 

 

 

できるだけ、いまここの「からっぽ」を生きていきたいです。

 

 

 

そんなことを思った金曜の夜でした。