修行は続くよどこまでも……

2015年10月25日

昨夜、電車に乗っているときに、私たち夫婦の目の前に、

 

なにやら、ずーっとひとり言をつぶやき続けていている男性がいたんです。

 

内容までは聞き取れなかった(というか聞こうとしなかった)のですが、

 

とくに、誰かや何かに対する呪詛、といったような類いのものではなかったように思います。

 

現に、彼は、ときおり、楽しげに「ふふふ」と笑っていらっしゃいました。

 

 

 

そのときは、「まあ、いろんな人がいらっしゃいますよね……」ぐらいで、

 

とくに気にもとめていなかったのですが、

 

最寄駅で電車を降りて、自宅に向かっている途中に、

 

すでに、脳内でごちゃごちゃごちゃごちゃ、

 

いろいろなことを「考えて」しまっている自分がいることに気がつきました。

 

 

 

仏教で、ああいった人を救うことはできるのだろうか……?

 

いや、仏教が問題にしているのは

 

「思うにまかせない事象に対する苦しみ」であるはずだ……

 

だから、もし、彼がそういったタイプの苦しみを抱えていないのだったら、

 

「救い」もなにも成立しないわけであり……

 

ということは、つまり、

 

仏の御手からこぼれ落ちてしまうような存在もあるってことなのか……!?

 

うーん……。でも、それって……どうなんだろう……???

 

とか、なんとか……。

 

 

 

でも、すぐにはっとしました。

 

「私、ナニサマだよ!?」って。

 

「どこから目線だよ!?」って。

 

 

 

そもそも、その男性を「救われるべき存在」として見ていることがおかしいし、

 

めーちゃめちゃ上から目線だし、傲慢にも程がある!!! ってもんです。

 

 

 

この場合、問題は、

 

「ひとり言をつぶやき続ける男性」にあるのではなく、

 

“「ひとり言をつぶやき続ける男性」を問題視している私”にあるんですよね……。

 

 

 

つまり、「救われるべき」なのは、

 

彼、などではなく、

 

私!!! っていうことです。

 

 

 

……いや、反省しました。

 

ほんとうに、反省しました。

 

 

 

この間の藤田一照さんの仏教塾でも、

 

「仏教が問題にしているのはいつだって“自分”」

 

「すべてを“自分”の問題として引き受けていくという主体的な態度が必要」

 

「“主観”の夢を破って“主体”に目覚めていく、それが仏教の修行」

 

といったようなお話をお聞きして、

 

感動しつつ、しみじみ頷いていたというのに、

 

私、ほんとうには、なにもわかっていなかったなあ……と。

 

 

 

完全に、修行不足です。

 

 

 

「“私”はいない」「すべては“わたし”」ってね、

 

これ、ほんとうに、頭で理解するようなものじゃないんです。

 

それをスローガンのようにして頭の中に入れて持ち運んでも意味がない。

 

ペーパーテストで満点取っても意味がない。

 

実際にそれを「生きる」ということをしなかったら、

 

ほんとうに、なんの意味もないんです。

 

 

 

毎瞬毎瞬、バッターボックスに立っているような気分で生きていかなきゃなあ、と思います。

 

飛んできたボールを、いかに「いままでの自分のクセ」とは違ったやり方で打ち返していくか。

 

それが、「修行」っていうことなんだろうなあ、と……。

 

 

 

修行は続くよどこまでも……

 

 

 

と、今日はめずらしく反省モードな小出さんですが、

 

まあ、反省反省、と言っているだけで、

 

実際に行動できなかったら、それこそ「なんの意味もない」ので(涙)

 

さっそくバッターボックスに立って、

 

次のボールに向けて、スタンバイしておこう、と思います。

 

 

 

深刻にならずに、でも、真剣に。

 

 

 

 

 

 

 

東京は、今日も、とてもよく晴れています。

 

そちらはいかがですか?

 

 

 

よい日曜日をお過ごしください!