その方は、かつて私の真実の愛だったのです……

2015年10月28日

Scarborough Fair/スカボローフェア

 

 

 

Are you going to Scarborough Fair?

スカボローの市場へお出かけですか?

 

Parsley, sage, rosemary, and thyme

パセリ、セージ、ローズマリー、タイム

 

Remember me to one who lives there

その場所に住むあのお方にどうかよろしくお伝えください

 

She once was a true love of mine

彼女はかつて私の真実の愛だったのです

 

 

 

Tell her to make me a cambric shirt

キャンブリックのシャツを仕立ててくれるよう彼女にお伝えください

 

Parsley, sage, rosemary, and thyme

パセリ、セージ、ローズマリー、タイム

 

Without no seams nor needlework

縫い目も針の跡も残さずにそのシャツを仕立てることができたのなら

 

Then she’ll be a true love of mine

彼女はふたたび私の真実の愛となるでしょう

 

 

 

Tell her to find me an acre of land

ワンエーカーの土地を探してくれるよう彼女にお伝えください

 

Parsley, sage, rosemary, and thyme

パセリ、セージ、ローズマリー、タイム

 

Between the salt water and the sea strand

海水と海岸との間にその土地を見つけることができたのなら

 

Then she’ll be a true love of mine

彼女はふたたび私の真実の愛となるでしょう

 

 

 

Tell her to reap it in a sickle of leather

革製の鎌で刈り入れをしてくれるよう彼女にお伝えください

 

Parsley, sage, rosemary, and thyme

パセリ、セージ、ローズマリー、タイム

 

And gather it all in a bunch of heather

刈ったものすべてをヒースの束におさめることができたのなら

 

Then she’ll be a true love of mine

彼女はふたたび私の真実の愛となるでしょう

 

 

 

Are you going to Scarborough Fair?

スカボローの市場へお出かけですか?

 

Parsley, sage, rosemary, and thyme

パセリ、セージ、ローズマリー、タイム

 

Remember me to one who lives there

その場所に住むあのお方にどうかよろしくお伝えください

 

She once was a true love of mine…

彼女はかつて私の真実の愛だったのです……

 

 

 

 

 

 

 

「スカボローフェア」。

 

ほんとうにうつくしい曲ですね。

 

サイモン&ガーファンクルが歌って一気に有名になったこの曲ですが、

 

もともとはイギリスに伝わる民謡のようなものだったらしいです。

 

ちなみに上記の(意)訳詞は無謀にも小出がつけました……。

 

何度も出てくる「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」っていうのは、

 

きっと、スカボローの市場の様子を表現したものなんだろうな、と。

 

 

 

それにしても、これ、なんてかなしい曲なんでしょう。

 

なにがかなしいって、詞の中に出てくる二人が、

 

お互いを、ふたたび、「真実の愛」と見ることはないのだろうな、と。

 

それがわかってしまうことが、かなしいな、と……。

 

 

 

だってそうでしょう。

 

針も糸も使わずにシャツを作ることも、

 

海水と海岸との間に広大な土地を見つけることも、

 

レザーでできた鎌で固い木を切って束ねることも、

 

すべて、事実上、不可能なのだから。

 

 

 

叶うことはないとわかり切っていても、かつて「真実の愛」であった相手に

 

無理難題を伝え続けることしかできない、この主人公の姿がかなしいな、と……。

 

 

 

かなしい。

 

この主人公に、人間全般の姿が重なって、かなしいです。

 

 

 

人間って、なんてかなしいいきものなんだろう。

 

 

 

 

 

そもそも、「誰か」“を”「自分」“の”「真実の愛」にしてしまうこと自体、

 

ほんとうは不可能なお話なんですよね……。

 

 

 

「私」と「あなた」がいる限り、

 

そこにはいつまで経っても、圧倒的な断絶が存在し続けるんです。

 

 

 

どんなに親しくことばを交わしても、からだを重ねても、

 

「私」と「あなた」がいる限り、

 

「ふたり」はいつまで経っても「ふたり」のまま……。

 

 

 

こんなにかなしいことって、あるかな。

 

 

 

 

 

「真実の愛」っていうのは、それこそ、

 

Without no seams nor needlework

 

というようなものだと思うのです。

 

 

 

切れ目やつなぎ目というものの一切ない、

 

果てしなく広大な、“ひとつらなり”の「愛」。

 

 

 

「私」も、「あなた」も、

 

「彼」も、「彼女」も、

 

「あれ」も、「これ」も、「それ」も、

 

「上」も、「下」も、「右」も、「左」も、

 

「北」も、「南」も、「東」も、「西」も、

 

そのすべてが、

 

ほんとうに「すべて」が、

 

一切合財なくなってしまったところに、

 

ただただ“ひとつらなり”のものとして「残る」、

 

というか「立ちあらわれてくる」、

 

根源的で、本来的な、

 

果てしなく広大な、ふるさととしての、「愛」。

 

 

 

それが、「真実の愛」。

 

 

 

 

 

人間が、人間であることの「かなしさ」を超えるためには、

 

ひとりひとりが「私」を超えていくこと。

 

もう、それだけなんじゃないかな。

 

 

 

「私」がいなくなると、「あなた」もいなくなる。

 

そこで「ふたり」は、ようやく、「ひとつ」になれる……。

 

 

 

「真実の愛」は、そこにしかないんじゃないかな。

 

ほんとうに、もう、そこにしかないんじゃないかな。

 

 

 

 

 

でも、「そこ」っていうのは、

 

実は、「ここ」のことだったりしてね……。

 

 

 

「ここ」に至って、環は閉じられる……。

 

 

 

 

 

 

 

どうかよろしくお伝えください

 

その方は、かつて私の真実の愛だったのです……

 

 

 

 

 

 

 

Simon & Garfunkel

Scarborough Fair

 

https://youtu.be/BYQaD2CAi9A