すべてがフィクションであったとしても

2015年10月29日

私は、いままで、基本的には、

 

「前世なんてフィクションでしょ」

 

というスタンスを貫いてきました。

 

 

 

だって、まあ、このブログでも毎日のように書いていますけれど、

 

そもそもここには「全体」しかなくて、

 

たったひとつの「全体」が、無数の「個」という夢を見て戯れているに過ぎなくて。

 

あれですよ、すべては「ヒマを持て余した神々の遊び」(by モンスターエンジン)ってやつですよ。

 

だから、個別の記憶を持ったままに、また違う個別の肉体に転生するなんて……

 

っていうか、そもそも個別の魂なんて……

 

「個別の」っていうのが頭に付いている時点で、

 

「夢、見てはりますなあ……」(謎の京都弁)っていうお話なんですよ。

 

 

 

でも。

 

最近、考えをあらためました。

 

「前世は前世で存在していてもいいんじゃない? 問題なし!」

 

と思えるようになったんです。

 

 

 

いや、そうは言っても、やっぱりここには「全体」しかないんですよ。

 

「個」っていうのは、そのまま夢だ、っていうのも、そうなんですよ。

 

でも、「個」という夢が、いまここにおいて、

 

「全体」の戯れの一部として表現されているのなら、

 

それは、まったく否定できるような話じゃないよなあ……と。

 

というか、むしろ、積極的に肯定して生きていっても楽しいんじゃないかなあ……と。

 

 

 

昨日ね、母から、こんなメールが届いたんです。

 

 

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今日あるところで霊視をしてもらう機会があったんだけど、

 

なんと! 私の前世は遊郭のとても人気のある太夫で!

 

身請けされて大奥で側室をやっていたらしい!

 

「大奥にいた」と言われたので、「下働きですか?」と聞いたら

 

「そんなもんじゃないですよ」とのこと。

 

やっぱり私の勘は当たっていた……。

 

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霊視って……。母、なにやってるんだ!?

 

と思いつつ、ゲラゲラ笑ってしまいました。

 

だって、母という人は、昔から、どういうわけか江戸城が大好きで。

 

とくに江戸城の内部を再現した映像なんかには、尋常じゃなく夢中になっていたんです。

 

本人いわく「なんだかものすごく懐かしい感じがするんだよね~」と……。

 

その謎が昨日解けたっていうわけです。

 

何代目将軍のどの側室だったのか、非常に興味があるところではあるのですが、

 

(調べればわかるのだろうか……)

 

まあ、とにかく、こういうことがありまして。

 

これ、単純に、面白い話ですよね。

 

爆笑するとともに、すごいな~、と感心してしまいました。

 

 

 

なんかね、こういうのを

 

「ぜんぶ物語なんです!」「幻想なんです!」とか言って、

 

切り捨てたくはないよなあ、と。

 

 

 

いや、まあ、物語は物語なんですよ。

 

でも、物語でなにが悪いの? っていう気持ちもここには確かにあるわけです。

 

それ以前に、その物語が、いまここに、こうしてあらわれているのだから、

 

それがすべて「神々の戯れ」であったとしても、

 

いや~、面白いねえ! と笑って受けいれるだけの度量は持っていたい、というか。

 

 

 

物語を物語と知らずに物語の中で溺れてしまうのは残念なことだけれど、

 

すべては物語だとしても、いまここに、こうしてあらわれてくれたのだから、

 

まあ、仲良くやっていきましょうや、と、

 

あたたかい握手を交わすこともできるんじゃないのかなあ……と。

 

そっちの方が、人生、楽しそうですよね。

 

 

 

もちろん、まずは「すべては夢物語」っていうことを知ってから、ですけれどね。

 

 

 

なんとなく、そんなことを思っています。

 

 

 

 

 

 

たくさん遊んで生きていこう。

 

よい一日を!